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新月ですね。
あけましておめでとうございます。

今日は風が止み、昨日貼ったアクアノイドの調子の良さもあって、「波乗り波乗り」と待ちきれず闘牛岬に向かう。

途中、新月によるかなりの干潮だったことを思い出し、もしかしたら南のホワイトハウスだったかも?
と後悔するが、昨日の余韻なのか西にサビタ号を走らせた。

快晴の、夏の雲が浮く青い空。
一句詠みたい気分だが、ラインナップは空いているので慌ててパドルアウトする。

昨日よりサイズが下がり、セットで胸程度。
その理由でとても空いていてアロハな人だけが浮いていた。

アクアノイドはやはり調子よく、加速に優れ、今までこういうものを拒んできた自分を悔いる。

後からきたフレディにその話をすると、「俺のように60才を越えたらそんなことを言ってもいいけど、若いのだからオープンマインドじゃなければダメだぞ」と諭される。

昨日のコメントに「信憑性が疑われます」とあったが、俺もこういうことに関して今までかたくなに「信じられません」としていたので、その意見もよく理解できる。

しかし、世界は広い。

ちょうど朝日新聞コムでの記事に

「【沸騰したお湯】と【普通の水】を冷凍庫に入れて実験したらなんと沸騰したお湯の方が早く氷結した」

という実験結果を伝える記事が出ていた。

このように世の中には不思議なことがある。

このアクアノイドはそこまで不思議ではなく、撥水性能と摩擦係数をアイディアにしてサーフボードに当てはめ(貼り付け)た。

ということと理解している。

またまた麺類の話で恐縮だが、今日のランチはスパゲッティ。
最近の傾向はアルデンテ以上のアルデンテ。
硬茹でを好んでいる。

目安は茹であがった麺をソースに混ぜるときは表示時間の3〜4分前。

そのままお皿に盛るときは2〜3分前にお湯からあげている。

どうでもいいことなんだけど、ここに書いて自分で憶えておこうという魂胆なのです。

さて、みなさんはやっているかどうかわからないけどSNS(ソーシャル・ネットワーキングサービス)の会員となっている。

その中のコミュニティで会員承認制「波乗りと人生」を主宰して、管理人をしています。
こちらは会員数が今日現在で589人で、承認制としてはダントツの人気を誇っていると自負しています。
こちらでは波乗りをのんびり楽しみましょうよ、と案内しておりますので、お気持ちが合えばぜひ参加下さい。

まあ、このNAKISURF内の逆真会のように楽しくやっています。

他にはゆったりまろやかに「朝焼け夕焼け、そして虹朝焼け夕焼け、そして虹 」こちらも会員数400人を越えています。

もしよろしければご参加ください。

そして、見つけたのが『COLEサーフボード』というコミュ。
主宰と管理人はチンタクさん。

さっそく彼にメールを送って、管理人の座を譲ってほしいのですが...。

とお願いすると「開始から2年しないと譲与できないのです」ということで、それなら会員でお願いします。
と入会しました。

で、トピックを読むと、もちろんですがNAKISURFのお客さまの会員の方も多く、みなさんは色々と迷われているようで、藁を掴むような質問をされていた。

質問に対しての答えを読むと、「こっちのほうがいいと思うと、聞きました」と、「親戚の友人の妹の知り合い」みたいなビシリとした回答がないようなので、ひとつ私がこんなトピックを立てておきました。

以下そのトピック文章です↓

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「コール・サーフボードのオフィシャルな疑問と質問について」

こんにちは、船木三秀です。

遅ればせながらこのCOLEサーフボードコミュに参加させていただきました。

入会の際に、管理人さまにはこういうトピックの作成をさせていただく許可をいただきました。
ありがとうございます。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私はサーフボードを日本に紹介する仕事をカリフォルニア州で1994年にはじめました。

それから多くのシェイパーやメーカーの人たちと出会い、宝物のような関係となり、今に至っています。

コールと私の関係ですが、彼が1990年代の始めにセントラルカリフォルニアに引っ越し、向こうでシェイプルームを持っていた頃からの知人でした。
彼が故郷サンクレメンテに戻ってきてからそのボードを日本の代理店に紹介させていただいてビジネスでの関係がはじまります。

当時は「マーケティング・パワー」という時代でして、どんなにサーフボードの調子が良くても名がないメーカーは全く売れませんでした。

私はコールのボードを乗るたびに、なぜこんな良いボードを知らないのか?
では、それを乗ってもらうためにはどうしたらいいのか?
そればかりを考えていました。

そして当時のライダーだった「ネイザン・フレッチャーとの対談」、さらには「コールに彼の考えるシェイプ理論」を語ってもらい、それを掲載した「コール・メール新聞」というものを作ったりしましたが、それは今思うと広い砂浜に砂を放るようなもので、何も反応がありませんでした。

少し古いのですが、あみんの歌う「私待つわ」の歌詞のように待っていたらアンディ&ブルースに代表されるプロサーファーたちが突然コールにボードをオーダーしてきて、業界では少し認知度が上がってきました。

そしてマット・アーチボルド復活の代名詞となったコールのボードに火が点いたのは2000年頃と思います。

オレもワタシも欲しい、とクリス・ワードやはたまたトム・カレンまでもオーダーしてきて、工場はパニックになるほど忙しくなりました。

話は少し変わりますが、
大手サーフボードメーカーのシェイプ工場に行くと、ご存じのようにシャドウシェイパーたちが有名シェイパーに代わってボードを量産しています。

または「パッコン」と呼ばれるサーフテックに代表される中国での大量生産ボードがそのデザインをコピーし、大きなビジネスとなっています。

コールはそれを拒み、自身で納得が行くまでシェイプする、という姿勢を貫いたのですが、当時の日産数はせいぜい3本という状態です。

結果、世界チャンピオンのアンディがWCTローワーズ用に5本ボードをオーダーしてきても彼が現地に来ても1本しかできていなかったりして、多くのボードを試したいプロサーファーたちはこのコールからの待遇にあまりいい顔をしませんでした。

なぜならば、こんなことがありました。

私の友人である某プロサーファーが、○○というオーストラリアのシェイパーにボードをオーダーすると、少しして5本入り箱がふたつ届きました。

その中の10本のボードはすべてテスト用ボードで、もちろん献上品です。

これを悪く言うと「数打ちゃ当たる」という状態のプロサーファーへのサーフボード献上システムです。

それらは全てもちろん無料なので、彼らはその中から1〜2本調子の良いボードを選び、残りを転売して活動費に充当していたので、献上システムに気をよくしていたプロたちは誰もそのシェイパーのことを悪く言いません。当然のごとく雑誌にもそのシェイパーのロゴが良く掲載されるようになりました。

で、このシェイパーは一度(1〜2年だけ)、一世を風靡したのでわかる人はわかると思いますが、それを知った俺はコールに「シェイプマシンを買って、シャドウシェイパーたちを雇ってこういうマーケティングをした方がいいんじゃないの?」と提案しました。

コールは「予算もないし、そんなやり方はあまり好きではない。サーフボードに対しての心も魂もないじゃないか」ということで却下しました。

今考えるとそれは正しいのですが、その時はプロサーファーたちのオーダー本数が目標に届かなかったり、納期に間に合わなかったりしているのを見て「もったいないなあ」と思ったものです。

そして2005年の暮れから、日本の代理店から私が独占契約を引き継ぎました。

時は奇遇にもネオ・クアッドが注目され、この新作クアッドのフィン位置とコンセプトはコールが発明したもので、その影響もあり大人気を博しました。

そして、NAKISURF内でお客さまに直接紹介させていただき、やはりその遅い納期問題はありましたが、その職人、名匠気質に賛同いただいた方たちに支えられ、今現在に至っております。

結果、彼はその少量生産の姿勢を貫き、現在は精密にボードをスキャンするAVISOでモデルを製作されるまでとなりました。

今それにありがたいと感謝しながらこのトピックを作成させていただきました。

長くなりまして申し訳ありませんが、そういうことなので、MIXI内でのCOLEサーフボードのオフィシャルな疑問、ご質問については私、または管理人さんにメールをください。

その疑問がうまくフロウするべく、弊社スタッフがご案内いたします。

サーフボードに魂を入れ、心やさしき男コール・シムラー。

こんな道具=銘刀であなたのサーフィンライフを実りあるものにしてください。

これからも楽しいサーフィンライフをお過ごし下さい。

どうぞよろしくお願いします。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と僭越ながら音頭を取らせていただきました。

こちらもどうぞよろしくお願いします。

こんな長いブログをまた書いていたら日が暮れてきた。

良い週末をお過ごし下さい!

(週末のおまけ)
コスタリカで撮ったsweet of the day。
シンディとパウラ。

彼女たちはアルバ(Aruba)国からバカンスに来たそうで、3ヶ月間だけロッポンギで踊り子をしていたんだそうです。

日本語が上手でした。
彼女たちをおシリ合いの方はお知らせ下さい。


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Hello!

と暗い店に入っていく。

カウンターにはビヨン(Bjorn)という名前の親父が「ハイ、ナキ!ずっと見なかったけど元気か?」と、にこやかにこちらに歩みよってきて、大きな手で握手してきた。

「元気でしたよ。奥を見ていいかな?」と聞くと、

「Absolutely(もちろん)!」と奥の部屋に通じるドアの鍵を開けてくれた。

その隠し部屋に入り、まず目に飛び込んできたのはデール・ヴェルジーよりも昔からシェイプを始めたと言われる「シモンズ」の新品ボード。
これは1951年製であるという。

ビヨンによると、このボードは最近になって見つかり、120万ドル(約1億3200万円)の値がつけられ、即決で売れてしまったんだと言う。

買ったのは投資で儲けた企業家だそうだ。
ひやあ、お金があるところにはあるんだねえ、と溜息をつきながらビヨンの顔を見ると、にやにやしている。

彼の後ろを見るとすごいボードがたくさん並んでいた。

エディ・アイカウが乗った最後のボード。
これはサンクレメンテにできたサーフボード博物館が購入したのだそうで、金額は極秘だそうです。

ヴェルジーのファーストモデル50/50、そしてグレッグ・ノールが持ってポスターになったガンにコン・アグリーの変な形をした試作品。
ドナルドのファーストボード?なんてのもある。

どれもスーパーミント(極上)コンディションで、こんなボードがアメリカにはちゃんと残っているんだなあ、と実感する。

うーん、と唸って見ていると、価格はそれぞれ10万ドル(約1100万円)の値が付けられていて、これらはもうすぐSOLD(売り切れ)になるんだそう。

冗談で「クヤシイなあ!」と言うと、俺が買わないことを見透かしているビヨンは、お前だったら特別ディスカウントするぞ、ドーダ?
と仕掛けてくる。

欲しいが、それだったら今乗っているサビタ号を買い換えて、それからそれからと代替え案がたくさん出るが、そんなお金はどこにもないことに気づく。

俺の弱ってきた目の色を察して、ビヨンは奥からサーフボードの箱を引っ張ってきた。

「これはな、お前が欲しがるはずのボードが中に入っているんだ、驚くなよ」

といいながらプライヤーで箱に留められている業務用ホチキスを外し、エアバブル梱包材を解き、中から俺が生まれて初めて買ったサーフボードが現れた。

ブルーワーの花柄ロゴが入っていて、ナガヌマさんシェイプだった。
これは松田さんという人がオーダーして、彼のスポンサーだった源さんから格安で俺が買ったボードだった。
懐かしさとうれしさで視界が滲む。

「どうしてこんなものがまだあるのだ?それもここに....」と自分の目を疑った。
欲しかったら特別価格45万円でいいぞ。

と言いながらビヨンは次のボードを出してきた。

「これは!」
と、またまた感電してしまった。

大好きだった黒レイルのパープルボードで、蜘蛛の脚を模したブラシがノーズに描かれてあった。
これはブルーワー工場内で下田さんのエアブラシを使わせてもらって俺が書いたもの。

ノーズの横を壊して、下手ながら直した跡までそのまま残っていた。
下重さんシェイプの178cm。
これが30万という。
欲しい!

さらにはカリフォルニアでコールが俺に作ってくれたオリジナルボードが出てきた。
これにはロイ・ゴンザレスが描いてくれたエルビス・プレスリーのアートがあり、ハービーが特別に仕上げてくれた改造アストロデッキがそのまま貼られてあった。
メキシコはサンミゲルのWQSコンテストの時に欠けたフィン先がそのままの状態でここにある。

そのフィンを触り、そのまま自分の名前が書いてあるボトムに触れた。
それはヒンヤリしているのだが、過ぎ去ったあの日のすばらしい波と乾いた風があり、日本人ということで愛され、歓声を受けた会場での微熱がそこにはあった。

全部買い戻したい衝動に駆られるが、何もお金は持っていないことに気づき、そのボードをビヨンに返す。

ビヨンは比較的新しい年代のコールのボードなら24万円を特別に20万円にするよ、と言ってきた。

買わない理由を探すのだが、どこにも見つからないので、ジーンズの隠しポケットからクレジットカードを出す。
これなら限度額いっぱいで買えるだろう。

「ドモ毎度おおきに!」

となぜかエセ関西弁になったビヨンの声を後ろに、ボード片手に店を出る。

家に戻り、昨日届いたタカオさん印のボードラックに飾った。

で、手に入れてしまうと、後悔することってありませんか?

ああ、20万円かあ、これだったらサビタ号を買い換えればよかったなあ、と少し後悔しながらもう一度ボードを見ると、それはポキ(ねこ)にすり替わっていた。



あれ、変だぞ?

と思った途端、目を覚ました。

これらは全て夢だったのです。

と始まった今日。

やはり大事なボードは、手放さずきちんと保管しておかないとだめだなあ、と思ったのであります。

昨夕、アクアノイドをBD3に貼り付けたので、それを持って闘牛に行く。



装着って、もっとむずかしいかな?
と思っていた作業でしたが、ドドゲの三浦さんやカビカのあっちゃんは知っているだろうけど、修理や調整、そんなことを超がつくほど苦手な俺なのです。

でもやってみると簡単で、なんなく貼れました。

貼ってから思ったのが、

「(抵抗としては)AVISOで言うところのプロフィニッシュ、グロスフィニッシュの違いは何もない」とみんなに言い切っていたので、

「何もライディングが変わらなかったら中根博士になんと言おうか?」という重たい不安が頭をよぎる。

やはりこういうものって、俺はあんまり信用しないのだなぁ、とその自分の小ささに自己嫌悪する。

「でもその時はちゃんとそう言おう」と決心しながら車を走らせ闘牛に着いた。

一昨日よりもサイズが少し上がったようで、たまに腰+くらいのセットが入ってくる。

ちょうどフレディのサーフ時間と一緒になり(最近いつもだが)、浜でストレッチをしている彼にこのアクアノイドを見せたら

「日本の最新技術だな。まあ調子いいのかどうか見せてくれ」

と外人特有の「見るまで信じないぞ」の疑問系であった。

パドルアウトしてみると、その速度はあまり変わらない。

でもフィルムだけでパドリングが変わったら怖いよな、とフレディと話しながら沖に出ると、ロングが乗ってきて、彼はいいセクションの手前でワイプアウトした。

おー!とボードを翻し、波に乗り、ワンターン、ツーターン、と進むと「あれ?速いぞ」と実感し、そしてアクアノイドを貼ってあったことを思い出した。
そのまま進み、崩れた泡波の下、平らな海面でボードを振るようにトリミングしてもボードの速度はあまり落ちてこない。

これは!

と驚き、「ずごい!機能したぞ」とにっこり。

2本目は、ピークから滑った胸近い大きな極上のセット波。

速い速い、少し奥から入りすぎたので肩から行こうとしていたフレディの横を「ヤッホー」と通りすぎた。

それは「まさか抜けてくるとは!」とフレディが後で教えてくれたほどのビックリするほどの速度でした。

フレディが「お前今日調子いいなあ」と言うので、

「これだよ、忘れたの?」

とボトムに貼ってあるアクアノイドを見せると、「OH!そうかこれで速いのか!」

とフレディもビックリ。



もう一本乗って、その速さを実感確認した俺はフレディとボードを交換した。

一本乗ってラインナップに帰ってきたフレディ、以前このBD3に乗ったことがあるので、その違いにびっくりしていた。

「速いよな、テイクオフはそんなに変わらないんだけど、加速してからが伸びる。不思議だ。これはヨットの底についているのと同じものか?」

と聞いてくるが、俺にはあまり詳しいことはわからない。

でもサーフィングを長くしていて、こんなフィーリングは始めてで、ちょうど今バリでWCT戦に出ているケリー・スレーターに貼ってもらいたくなった。

いや、待てよ。

話は逸れる。
ご存じだとは思うが、アメリカでは寿司ブームだ。
これは内緒にしておけばいいのに「ドーダ、俺たちはこんなおいしいものを食べているんだぞ」と日本人が誇示した結果、マグロはもちろんのこと世界中で魚不足となり、魚の値がまた上がってしまったので、外人にこのおいしさを教えなければよかった、というのは在米日本人共通の意見だと思う。

なので、外人にこんないいものを教える前に日本人だけでこのアクアノイドを使って、初のWCT選手誕生というわけにはいかないのかなあ?

そんなことを夢想しながら夏の闘牛岬に浮いていると、沖に白い鳥が一羽飛んでいた。

8月になりました。
夏はもうすぐいなくなっちゃいそうです。

(おまけ)
船木式アクアノイド装着レポート

まずはボードを用意。
これは上にも書きましたがAVIS BD3プロフィニッシュです。



取扱説明書(以下、取説)ワックスリムーバーできれいにする、とあったがそんなものはここにはないので、家庭用クリーナーできれいにしました。



でもこれだとワックスが溶けないので、結局は陽に当てながらから拭きしてワックスを取りました。

ぴっかぴか状態↓



さらに耐水ペーパーの2000番できれいにする、と取説にあったのだが、こういうのが面倒な俺は、いつもの180番でガリガリと表面を磨き、その後2000番で拭き取るようにしました。

そうだ、その前に一度ボトムパッドを置き、貼り位置を確認してから削りました。



乾いた布でよく拭いてからいよいよ貼り付けです。

半面を剥がして、目標位置にズバリと。



押しつけて固定したら残りも剥がし、こすりつけて圧着させます。



同じようにフィンの内側も耐水ペーパーで磨いてからフィンパッドを貼りました。



しっかりとこすって、密着させて完成です!

取説によると、ここから1〜2日置いておくと密着度が高まり、剥がれづらくなるみたいです。

全部で20分で終了しましたので、参考にしてください。
テープで仮止めとかの行程は無視しちゃいました。
(なぜなら、もし曲がっても性能に影響がないと理解しているから)

で、クリーナーも出ているので、このままNAKISURFステッカーも貼っちゃいます。

まずは白い、半透明の台紙にステッカーが乗るようにゆっくりと表面を剥ぎとります。

このとき、水色の台紙にステッカーが残るようだったら、指などで白いほうにくっつけてください。



希望する位置付近を上記アクアノイドのときと同様にきれいにして、はぎ取った白い台紙とステッカーを貼り付けます。



↓指などでよくこすります。



特に羽根、文字の細い部分は接着しづらいので一本一本密着させてください。



↓密着させたら白い台紙をゆっくりと剥がします。



剥がしたら



指で圧着させましょう。



最初に剥がした裏台紙(水色)を使ってもっと圧着させたら終了です。
(ここまで2分でした)



終了です!!

暑いですね。



こちらノースハワイでは一足早く新学期が始まりました。
アメリカでは夏に学年が変わるので、新一年生や新中学生が誕生した日です。

公立校は去年くらいから「イヤー・アラウンド制」を採用している。

これを簡単に説明すると、児童、学生の年間休日は決まっているのだそうで、それを夏に3ヶ月間まとめてとらずに、秋、冬、春休みを増やしたり、不定期に月、または金曜日に休みとし、三連休、四連休を増やそう、というシステム。

夏休みが長すぎて、だらだらと過ごしていた子供を見るのが辛い俺にはとても良い考えだなあ、と実感したのだが、アメリカで育った永い夏休みに慣れた親には不評である。

不満に思っている友人と少し話した(ディベイトか?)が、「長い旅行に行けなくなる」というのが一番の理由だった。

でもここは全員が島暮らしなので、旅行に行くにも航空運賃がかかる。

ちなみに今年の夏休み期間は、原油高のせいもあり運賃が倍以上に跳ね上がっていて、ロスアンジェルスーホノルル間は往復運賃で普段600ドル程度なのに、1400ドルという値だ。

それもアドバンスの格安値でそれだから驚いた。

俺はそこでその運賃を引き合いに出して、「夏に旅行と言ってもチケットが高くて旅行できないから一緒じゃないの?」と斬り込んだら相手は「ウググ」となり返せなかった。

これだと、航空券と滞在費だけで親子5人が80万円くらいの旅行となっちゃいます。

世間はそんなことになっている2008年。
俺の予想だけど、アメリカはこれから不景気となっていくのだと思う。

昨日の傷心ということもあって、リフレッシュするために波乗りを断念した。

ドノバンから電話があった。

「カリフォルニアのサーファーマガジン誌オフィスにいて、いくつかの質問がある」というので答えられるものに返答した。

なんでも彼がゲスト編集長の特集号を製作しているんだそうで、それがうれしいのか、かなりハイになっている。

こんな会話だった。

D「ねえ、日本で飲んだスーパークリアーのめちゃくちゃ強いお酒ってなんだっけ?スイートポテトかライスでできているって聞いたけど」

俺「それは焼酎だ」

D「ソーダSOJUだった!イエイ、ベイビーソージュー!!」

俺「違うよショーチューだ。S・H・O・C・HUと綴るんだな」

D「ソーダッタ!ショチューだ、アリガトゴザマス!それと日本のギターの名前を教えて?」

俺「弦は何本だった?」

D「3本で、ジャンジャンチャン、チャンチャンチャン♪」(と弦楽器の音を歌い始めた)

俺「サンシンだね。SANSHINと綴る」

D「オーイエイ、サンシンだな。あれはスーパークールなインストメンタルだ。次だ。島でママさんがやっている宿泊所の息子の名前は?」

俺「緑。MIDORI」

D「違うなあ、そいつじゃない」

俺「もしかしたらファーストネームで憶えているんだよ。ヨシト、YOSHITOかな?髪の長い、痩せたグッドサーファーだろ?」

D「ヨーシ!それそれ思い出したYOSHIだ!」

とまあ、こんな感じで多くの質問に答えていた。

彼の中で日本旅は思い出深い旅行だったのだろう。

次にコールから電話で、クアッドのバックフィンについて詳しく突っ込んだ話をした。

「ダブル以上の大波になると、シングルフォイルの方が抜けがいいから次のうねりで試すように」との指令。

彼はサーフボードをさらに進化させようとしているのですね。

日本から荷物がふたつ届き、ひとつはボードラック。
日本製ってすごいなあ、精密完璧でした。

これでアイディアがあり、それと製作者のタカオさん、そしてライダーの勇人さんと話す。

勇人さんは今日から台湾へのトリップに出発するそうで、台風8号のうねりがありそうですね。

スズメバチに刺されたばかりで、心配したが一回目は平気なんだそうで、でも耐性がなくなっているので2回目を刺されないように気をつけないと、とのことでした。

もうひとつは中根博士が発明した『アクアノイド』という特殊フィルムで、ボードのボトム面の核となる場所に貼り、速度と操作性を高めようというもの。

こちらもサーフボード表面をさらに進化させるというコンセプトです。
ハイテクはすごいぞ。



ご存じのように水は空気よりも高い抵抗を持っているので、そこを高度応用した製品である。

水泳界ではspeed社のハイテク素材が注目を浴び、それが主流になっているが、その説得力も手伝って、どうしても試してみたくなった。

フィン用とフィン周りに貼る製品が届いたので、後でBD3に貼りその効力を試してみますね。

閑話。

新学年のノアとスケートパークに行き、誰もいなかったので写真撮影をしてきた。

奥に見える両ドアが空いたサビタ2号はカビカのあっちゃん号だが、こうしてたまに乗って、乾かしている。

ちなみに今売りに出しています。
4駆です。
窓は壊れていて開きません。
雨漏りします。
もちろん安いです。
ご希望の方は連絡をください。



彼のボヨヨンはあいかわらずで、「メロングラブができるようになった」とにこやかに俺の上を飛んでいった。

真上にある太陽も写したく、こんなアングルでも撮りました。
これはインディグラブ。



真夏の空って青いなあ。



ノアがサーフィンを始めた頃の写真も出てきた。
小さいなあ。
顔が真剣でかわいい。



5年前で、場所はサンクレメンテ。
いいなあ、俺もサンクレメンテでサーフィンを始めたかったなあ。(笑)

↓これはその当時のサンクレメンテピアで一平くんに撮ってもらった一枚。



筆記体コカコーラ風のコールロゴTを着ているノア。
このシャツはどこに行ったんだろうか?

ではではALOHA!

昨日の昭和編には色々考えさせられた。

小さい頃好きだった知床旅情を見つけた。しかも美空ひばりさんの唄なのでここにアップします。



知床の岬にはまなすの咲く頃
思い出しておくれ俺たちのことを
飲んで騒いで丘に登れば
はるか国後に白夜は明ける
  
旅の情けか酔うほどにさまよい
浜に出てみれば月は照る波の上
君を今宵こそ抱きしめんと
岩影に寄ればピリカが笑う

別れの日は来た知床の村にも
君は出て行く峠を越えて
忘れちゃ嫌だよ気まぐれからすさん
私を泣かすな白いカモメよ
白いカモメよ

さて、ノースハワイはうねりに見放され、今日はさらに小さくなった。
強風はあいかわらず。
そして大雨、快晴の繰り返しで天気にバカにされているのかと空を見ると、本気な虹が一筋。

うーむ、な日です。

ホワイトハウスを見に行くと、サーフできるのだがこんな感じ。



なんとも鮫が怖いような暗い海なので闘牛に行く。

雨上がりのハイウエイ。



これがいきなり晴れた。



闘牛に着くと、良く晴れていて、オフショアだった。
駐まった車の数から混んでいることを直感した。

SUPも2台パドルを抱えて颯爽と前を歩いていく。

そこで、クヌヤロ光線(©椎名誠さん)を後ろから送りながら後ろをついていいく。

沖に出るとやはり混んでいて、雰囲気も悪く、どうやら最悪の状況のようだ。

結局クヤシー思いをして撤退した日です。
あまりこういうことを振り返りたくないが、後学のために書き留めておく。

まず状況を整理すると、パドルができない観光サーファーが5人。

他ロング10台、ショート6枚、子供サーファー4人、ボディボードの子供4人それにSUP2台。

数字を見るとたいしたことはないのだが、今日はサイズが下がったせいで波数が少ない状況だった。

初心者はなぜかピークの奥に行き、テイクオフ→直下→墜落を繰り返していたのでノーカウント。

SUPは1台が奥のロックパイルに行き、これは本気でクヌヤロ光線を送ったかいがあるというもの。

残ったSUPも波を乗ろうとするのだが、サーファーが漕ぎ出すとパドルを止めてくれる紳士的な人なので問題はなかった。

少しして気づくと、波が来るとどんなことをしても(人の後ろからだろうと、前からだろうと)40代くらいのロングボードに乗った太ったサーファーがいた。

その上、テイクオフしてファーストセクションを抜けると、なんと彼はすぐにキックアウトして戻ってきてしまうのだった。

闘牛は長い波が特徴で、今日の腰波サイズでもサードセクションまであり、ロングならトリムしながら岸まで乗れるコンディション。

俺も含めた乗れなかった(残された)みんなは恨めしそうにそのロングボーダーにクヌヤロ光線を送るが、彼は生まれついての厚顔なようでクヌヤロ光線は全く歯が立たない。

ここで景が見えてきた。

彼は11才の子供サーファーをふたり、そして女性ロングの友人(40才くらい)、そしてその娘サーファー2人を連れてきているようで、そのお母さんサーファーも波が来ると見境なく全力でパドルし、人がいようがいまいが波に乗っていってしまう。

そう、この親ふたりのマナーが悪すぎるのだ。

普段だったらローカルの誰かがいて、彼に文句のひとつでも言うんだけど、波が小さすぎるので誰も出動していないという不運、幸運。

で、親のマナーも悪ければ子供も同じで、結果たまにやってくる波は彼ら6人だけのものであることが判明した。

乗れなくて浮いているだけの俺たちはクヌヤロ光線も尽きてしまい、彼たちが帰ってくれることだけを祈るのだが、波に乗りまくって有頂天で帰る気配はみじんもなかった。

なんでもノースショアから希望する子供たちを乗せてきている、という勤勉な親御さんなのだが、俺たちは「頼むから2度と来ないで欲しい」という気持ちでひとつにまとまっていた。

しかし、せっかくの楽しいサーフィン、そして海なのだからみんながなるべく笑顔で浮かんでいたのだが、どうやらそれも引きつってきた。

で、その男親が乗った次の波に俺が乗れることになりました。

パンパカパーン!

本日初のファンファーレが鳴ります。

テイクオフするまでのイントロは仮想MCで、

「苦節1時間、ようやくやってきましたこころの波が、男ふなきがこの美しい波に乗ります。この晴れ舞台を彼の母は天国から涙して見ているのでショーカ?トーギュー波、2008年はナナガツ、ニジュークニチのこの一本デス、ドーゾォー!!」

と自分で盛り上げながらテイクオフすると、なんとなんと、そいつがなぜかショルダーにいて、テイクオフしてくるではないか!?

クショー、バガヤローと思いながら彼の後ろにつくのだが、振りかえって俺を確認しても全くどいてくれる気配がない。

バゴヤロ!ともうワンターン。

まだどいてくれない。

結局甘美なファーストセクションが終わったらそいつは何事もなかったようにキックアウトしていった。

ショックで目が回る。
走馬燈のように人生を振りかえりながら整理すると、俺はこれ以上痛まないように海から上がった方がいい、という結論に達した。

帰り路で思ったのは親として、波を、空間を共有するとかができないとそれは子供にも伝わる、ということだ。

今日の教訓としては、「人のふり見て我がふりなおせ」ということで、知床旅情で精神浄化強化時間としてリピートして、童心に戻っているという次第です。

と書いていたら今日仕事でサーフできなかったフレディから電話があって、このことを簡単に説明し、YOUは仕事で来られなくてラッキーだったぞ」と伝えた。

すると彼は、「ノースショアからくる多くのサーファーは我が強くて駄目なんだ、純朴なウエストサイドの雰囲気を壊すから最悪なんだぞ」と言う。

そうか、そうか、それもあって俺は冬もノースショアでサーフしたくないことを思い出した。

西のイナリーズ、ソフトサンドはサーフィンのピュアなエッセンスがぎっしり詰まっていて、それを愛する人たちがここでサーフしていたんだね。

と話は突然終わります。

今日も長くて、しかもクヤジー話で申し訳ありません。

波乗りって、たまにこういうギャフンな経験をしちゃうんですよね。
で、そうすると普通の日が輝きはじめるというわけです。

陰と陽ですな。

クヤシクなってしまった人は美しい知床旅情をもう一度聴いてくださいね。

で、ピリカってなんだ?

思い出した!
俺は7才くらいに「ピリカ食堂」って入ったけど、それに関係しているのだろうか?
「どうかな?」と昨日掲載した長いブログが一部に好評でほっとする。

PCならわかるが、多くの人が1万字を越える文章を携帯端末で読んでいただいたことに恐縮しました。

ありがとうございます!

湘南には台風8号のうねりが入っているようで、きんちゃんは朝3時からホームブレイクに向かった。

コスタリカ、パナマから逗子に帰ってきたターザン古矢さんはカカイサンズに入り、「たった4人だったよ」とご満悦。

こちらノースハワイはその台風からのうねりなのか、サーフライン等のサーフレポートで大きな南西うねりと聞き、ホワイトハウスに行くが強風、大雨で撤退する。

波はようやくオーバーヘッド程度で、期待で眠れない夜を過ごした俺にとっては肩すかしでもあった。

ガソリン代も高いから(笑)ここで無理やりでもサーフしようと思ったけど、結局は闘牛に向かう。

闘牛に着くと、西うねりのようで、リリコイ岬がブレイクしているという。
よくチェックするが、すでにSUPが3台入っているので断念し、オリジナルアイディアの闘牛で軽くサーフ。

大きなうねりは逸れているに違いなく、いったいどこに行ったのか?



と基地のクリスチャン、ブラックハウスのカイルに電話をするが、どこもかんばしくないと言う。

まあ、こんな日もありますね。

また大雨が降ってきた。
変な夏だなあ。

そうだ、7月にここにミーティングをしに来るはずのAVISO主宰ジョンと王子ニックの予定が変わり、今度の土曜日に来島となった。

波予想を見るとどうも小さいなあ。
彼らはリリコイとホワイトハウスを心待ちにしているけど、こればかりはどうにもならない。

それと、発売前に予約購入したビギンの新譜にも肩すかしを喰らった。

名曲「涙そうそう」や「昔美しゃ今美しゃ」の新しいメロディを期待していたので、その軽くなりすぎた曲すべてをiTunesから外してしまうほど、ガッカリしてしまった。

彼らは時代に順応しようとしすぎて、外してしまったのだろうか?

プロデューサー?

レーベル?

しかし、悪いことあれば良いことがあるのが人生で、ビギンと同時購入した井上陽水先生のアルバム「弾き語りパッション」に感動する。

古い曲なのだろうが、「昭和フォークのしめやかさ」という心があり、いくつかの曲の詩が全くわからないけど、それ以上の深い響きがあった。

詩がめちゃくちゃな名曲「傘がない」も収録されていました。

そんなこともあり、You Tubeに行き陽水センセの動画を見、それで中島みゆきさんに行きついた。

1975年の名曲「時代」を聴いていたら涙が出てきた。



音質が良いバージョンはこちらです。

年と共に涙もろくなっているようで、でも今だからわかる詩にうっとり。

このデビュー時23才の中島みゆきさんはどんなことを思って歌ったのだろうか?
ちなみにこの時、俺は10才になったばかりです。

暗い、失恋というテーマだったので、彼女の歌をずっと敬遠してきたが、ようやく聴けてよかった、出会えて良かったという曲を多く発見した。

いいぞー。
渋いぞ、俺たちが生きて、過ごしてきた昭和だ!

中島みゆきさんのすごいところは、デビュー前に100曲以上のオリジナルソング(作詞、作曲)があったということで、今どきそんなシンガーソングライターはいるのだろうか?

と話はノースハワイの2008年に戻る。



週末にコロア本願寺主催の「盆踊り」があって、家族で行ってきた。



ご存じのようにハワイは日系人が多いので、日本以上に日本文化が伝わっているのです。



ヤキトリ、オニギリ、ヤキウシ、ヤキブタ、サイミン売店↓



2ドル50セントも取るのに当たってもたいしたものがもらえない「的回し」↓



下手をするとペットボトルの水一本という賞もアリマス。

どこで手に入れたのかテイチクレコードの「世界平和音頭」のハッピを着た人もいました。



俺も欲しいなあ。



アニーとカイラも着物姿で参加。



的回しをやるアニー



なんと大当たりのドノバン印のギター(べース)を手に入れご満悦。



うれしくて盆の踊りにも力が入ります。



日本みたいですよね。



来週はハナペペ本願寺で開催なので、お近くの方はぜひ!



とここでも昭和にひたりました。

ふむー、時代っていいなあ。

『時代』の歌詞です

今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わってめぐりあうよ

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても

めぐるめぐるよ時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

まわるまわるよ時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ


最近のお約束なのですが、昔の自分の写真をトップに持ってきました。

カリフォルニア州、ダナポイント市のロッキーショア。

底から掘れ、それは長いバレルとなる。

この時にパット・オコーネルが「人生最高のバレルを抜けた!」と喜んでいたなあ。

サーフィング誌のパトリックが撮ってくれました。

ボードはコールのHPSですね。

11日間ノンストップで続いた北西うねり。

最初の4日間は混み、その後、どんどん人は減り、最後にはたった何人かでこの波を滑りました。

この模様はサーフファースト誌に載せたので憶えている方もいらっしゃると思います。

↓俺の大好きなフォトグラファー、JUN PHOTOGRAPHYからの一品。



急激に浅瀬になるので、波の動きが速く、つまり斜面が硬すぎて、レイルもフィンも噛みづらく、右腕でバレル内にとどまろうとしているショット。

これもコールのHPSですね。
テイルはラウンドピン。



昔のiMacのバックアップの中からこの時の記事原稿を探していて、ようやく見つけました。

キャプションまで全掲載しましたので、よろしければ読んでください。

5年半前になります。

最後に出てくるラリーももう亡くなってしまったり、サーファーの勢力図も変わり、そしてここの波もあまりブレイクしなくなった。

長いので(9200字)、お時間のあるときにドーゾ。

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the California 2003/Rocky shore

協力:ケーシー・カーティス、ダナポイント・ローカルズ
引用文(斜体):シェイクスピア(イギリス劇作家、1577-1616)

the glimpses of the moon.(月下の光景)


2002年大晦日。

うねり到達。

大晦日の夕波を撮りたく、水中ハウジングとサーフボードを持ち、海まで降りた。

すると、沖から幾筋ものうねりが崖下に輝いていた。
波情報によると、明日に届くはずの波ーーがもう届き始めている。  

閑散としている岬の先で着替え、夕陽までサーフしていると、ぐんぐん波のサイズが上がってきた。

オレンジゴールド色の長距離バレル。

セカンドセクションから底掘れするプルイン。

ただ出口だけがぽっかりと閉じずに空いていた。

宇宙的というか、極みにも似た感情が体内を満たす。

沖まで戻りながら酔吟してしまう。

そして、今度はカメラを持って、オレンジピンクの空の下、深い色をした極上バレルが何本も何本もうなりを上げながら高速で横を通り過ぎ、やがて藍色の空の中、月と星が視界を満たした。

2002年を述懐することなく話は進む。


Good wine needs no bush.(佳い酒には宣伝いらず)

2003年元旦。

その波。(桃源高波祝有天)

朝早く昨夕の宴ブレイクに着くと、うねりはサイズを上げてファーストセクション(セカンドリーフ)に厚い泡の層を作っていた。

サイズはオーバーヘッドからダブル弱が4〜5本ひっきりなしにやってくるいわゆるゴーイングオフ状態。

岬にあるライフガードタワー周辺に集って、このブレイクに興奮しているサーファーたちがいた。



岩場の前の大波に唖然とする観光客たち。

3脚を立てながら辺りをチェックすると、他にフォトグラファーはおらず、この元旦特上波をエクスクルーシブ(独占)で撮れるということになった。

サーフィングマガジンのラリー・ムーア、通称フレイムがこのブレイクのメディア元締めなので、ここに波があって彼がいないのは不思議な光景だった。

ラリーは他の場所が良く、そこに行っているということになる。だとしたらブラックスかバハ・マリブだろうか....?

ここはシークレットというか、普段はノーマークの場所である。

毎年2月から3月にかけて砂が付くと姿を現し、4月になって南うねりが入りはじめると砂は洗い出され、その短いシーズンを終える。

季節限定ブレイクなのでローカル色は強いが、南カリフォルニアの特長で、乗れるサーファーにはオープンである。

もしローカル問題が起きるとすると、「派手なウエットスーツ(黒一色でないということ)を着ている」、または「3人以上の大人数でやって来たか」、「奥から行こうとして何度も尻込みする」、「セットの順番を守れない」のどれかであろう。これらはどれもグロ−バルスタンダード(世界規格)マナーなのでおぼえておくといい。

この波をサーフしたかったら、まずは1〜2時間をかけて波をチェックし、多くのことを見てからにしよう。

でないと手前にある隠れ、見え岩の餌食になり、ライフガード隊によって救助という大げさなことになりかねない。

腕に自信があるのならまずはインサイド(ここではサード)セクションから始めること。

そこでテイクオフが完全にできるようになったら、ゆっくりと沖へと近づいていけば、誰も文句は言わないはずだ。

それどころから向こうから名前を覚えてくれるほど、良いサーファーに門を開いてくれる場所だ。

ここで誰よりも多くサーフしているケーシー・カーティス(以下KC)は、

「ここはダナポイントのボーイズ達が上達し、いつしか初段黒帯、免許皆伝するとやってくる本家道場のようなもの」と形容した。

いつかはここでバレルをくぐるというのを目標に掲げているボーイズも多い崇高なブレイクであることも追加しておく。


This garden has a world of pleasure in't.(この庭には、この世の喜びが詰まっている)

三脚を立てる場所を確保し、次はウエットを着込んで水中からフィッシュアイでバレル内部を探索。

このブレイクはものすごく特長的で、悪く言えば癖波だ。博士KCの研究結果によると、およそ8種類程度のバラエティ豊かなブレイクを見せ、そのどれも簡単な波はないと言う。

リップは厚く、ボトムは砂を巻き上げる。

バレル内部で起きる爆発、いわゆるエアスピットも多く吹き出し、この熱い波を情熱的に盛り上げてくれる。

岬先端からブレイクエリア、その全てに大小の岩が数十突き出ている。

ここは通称マンイーター(man eater)と呼ばれ、この後ノーリーシュのKCやマット・アーチボルドの板が餌食になる場所だ。

このエリアにひとたび入り込むと海底の起伏が激しいため歩けず、そして尖った岩や貝やウニが危険で、なおかつ茶色い岩苔が油のように滑り、流れ込んだ人間しか味わえないちょっとした拷問になる。

ブレイクの正面崖上に高級リゾートホテルがあって、そこまで登ってブレイクを見下ろすと、ここのブレイクやカレントの概要がよくわかる。

沖に向かって左側からやってくる南うねり(夏)はレフトが中心で岬に沿って長く乗れるファンウエイブ。

右から入ってくる北西うねりが多く届く冬に、このシークレットーーロッキーショアは真価を発揮する。

強い北西うねりは、遠くアリューシャン海域で発生し、ハワイのノースショア、そして北のマーベリックスを爆発させたものと全く同じものだ。

長い時間をかけ、西海岸まではるばるやってきたこれらのうねりは、最終到達点で断末魔である轟音を発し、その多幸な生涯を閉じる。

北西うねりの時はサイドカレントが強く、定位置をキープするためにはパドリングを休むことはできない。

そのカレントの開始地点の岬先端に大岩が2つあり、沖合の深い海底、崖状となった浅い海底隆起を乗り上げるようにファーストセクションがブレイクする。

潮はロータイドが良く、またはロータイドでないとここ本来の波ではなく、他流派のような波となる。

ちなみに潮は干けば干くほどよくなる。

とすると、満月または新月か。

北西うねりがファーストの海底隆起にピタリと合ったこの日は、岬先端ファーストからトイレの前のサードまでセクションレス。

つまり全てがつながり、バレルを出ずに3つの区間をくぐりぬけることが可能なセットアップとなった。

ファーストでは波の中に出現する2フィート(約60cm)幅のこぶ(凹み)に合わせるようにパドリングを開始し、後ろからのうねりと合わせながらドロップするザ・ボックス(西オーストラリア)系の最上なものだった。

凹む場所でないと、ボードが波の中に降りず、最後にはリップと一緒に海底棚へ振り落とされてしまう。

この重要な凹みを予想して、テイクオフを開始するのだが、予測がまた難しい。

凹みに合わせて滑り始めても新たな問題点が目線、進行方向に発生する。

ショルダー側はあたかもセクションの後ろ側に入ってしまったかのように壁が厚く重く切り立ってしまっていて、とてもでないが抜けられる気はしない。

だがこのセクションがファーストセクションのバレルとなり、これを避ける者はセカンド、またはサードセクションでサーフしなさい、ということを暗に意味している。

GO!行くしかないのだ。

セカンドセクションは全般的にもっと浅く、サードセクションはさらに浅くなり、まん丸で肉欲的なバレルとなる。


Nature teaches beasts to know their friends.(自然は猛獣に何が友なのかを教えてくれる)

ここでのガイド、または教祖達。

KC。
彼はここでの冥界案内人。

一時間に一度の特大セット、またはその日一番の「お化け」を沖で待ち続ける忍耐力を持つ。

彼は恐ろしい波がやってくると「GO!GO!」と、他サーファーの墜落をあおる。

気は優しく力持ち、大男の豪傑、または熱血漢のトラブルメーカーの武辺者。

バレル内ではリップに叩かれようと不死鳥のごとく蘇る。



毎日6時間以上もセッションして、一本のボードも折らなかったのはこの男だけ。

使用ボード6'3''シングルフィン2本、6'3''スラスター、7'0''スラスターガン。


マット・アーチボルド(以下、マット)。

KCを豪傑に例えたが、マットは英傑の時もあれば、陽だまりの下で居眠りするようなメロウさを兼ね揃えている男だ。

バレルの中で穏やかな表情を見せ、だが瞳だけは爛々と凶刃のように輝いている。

そんな彼が噂を聞きつけロッキーショアに現れた。

全員が苦しんでいたファーストからセカンドにコネクトする部分を正確で大胆なレイルコントロールを用いて、エアスピットと共に下界に何十本も放出されていた。



歩くだけで見る者を圧倒し、引き込む力を持っている。

初日はボードを折り、退陣を余儀なくされたが、2日目からラウンドピン3本(2x6'0'' 、6'3'') を持ち込み、ポイントにかける気持ちを表した。
(オフザウオールなどのパワーブレイクで5'10''のボードを使用しているマットにとっては長めの、敬意ある選択とも言える)

途切れない深いバレルの中でギラリギラリとレールを翻し、その弾丸のような速さに圧倒されたプロも多く、マット・アーチボルドは健在というより、さらなるレベルに到達した超人ぶりを焼き付けた。


クリスチャン・フレッチャー。
渡世、娑婆(しゃば)、自虐、呪い、怨念、極左、アナーキリスト、エゴイスト、悪態、黒、淫、自堕落、残酷、鬼畜、冷血、不吉、狂信、外道、大凶、閻魔、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、憑き物、魔界霊界、腐敗、瘋癲(ふうてん)、乱倫、錯綜、邪神、折檻というイメージの世界一のエアリスト。

そしてエア界のパイオニア、レジェンド。

現在はロス近郊在住で、オクスナード、ベンチュラなどに出没し、バリエーション豊かなドロップイン(ここでは前乗りに相当する)と、乱行の限りをつくしている。

ちなみにアストロデッキ総帥のハービー・フレッチャーは実父で、ネイザンは実弟。

祖父は元祖ウオーターマンで知られるウオルター・ホフマンという由緒正しい家系の貴公子(プリンス)。


パット・オコーネル
クリスチャンが魔界からの使者の履歴を持っているなら、パットはさしずめ天界から降りてきた天使サーファーだろう。

白、キリスト、アラー、ゼウス、ポセイドン、ネプチューン、イエス、福の神、信心、愉楽、躁、爽快、恵比須顔、鶴亀、富士、鷹、茄子、鯛、大吉という言葉が浮かんでくる溌剌(はつらつ)と人生を謳歌し、旺盛な波乗り欲を持った善い男。

ご存じWCTサーファーでもある。



That's meat and drink to me, now.(これは俺にとってのワインと肉さ)


the barrel(ある波)

凹みにピタリと同化し、滑降を始めるとボイルが沸き立ちボードを揺らがせる。

この至難に加えて、上から落とされるような急激なドロップ。

ボトムに降りる前にレイルを咬ませて壁に張り付く。

そうしないとピンチするリップの餌食となり、マンイーターに引きづりこまれるだろう。

壁に張り付けたら、滑降ラインを波の上部に持っていく。通称ハイラインと呼ばれるもので、これが完全でないとこのセクションは走れない。

このラインは高すぎるとリップに巻き上げられるのでかなりの度胸がいる。

ハイラインを壁にセット、しかし波面にさらなるボイルが沸き上がりレイルの咬みを不安定にする。

突然出現するフォームボール(泡地帯)には要注意だ。

捕まるとボードは一瞬で波の中に吸い込まれる波の中のトラップ(罠)ゾーンがこれだ。

これらを避けてバレル内部を突き進んでいくと、出口が楕円から真円に変化して、セカンドセクションに入る。

海底棚に大量に付いた砂の隆起、深さはひざ程度しかない。

砂のことなので毎年付き方は違うが、ローカル重鎮マット・ハワードに言わせると、30年間ここを見てきたが今回のが歴史上最もいい状態だと言う。

この浅瀬に乗り上げたうねりは海面より低い、ベロウ・シーレベル(bellow sea level)となり、真横で見ていると、ライディングしているサーファーの顔の上部分しか見えず、それは地下室的で恐ろしい光景となる。



実はここがライディング中一番楽しいセクションで、硬い斜面を切り裂きながらスピードを1段階上げる。

さらにボードをパンプ、プッシュしながら遠くに過ぎようとする出口を追いかける。

エアスピットが内部で炸裂。

その爆風に押されて速度は上がり、視界は霧で見えなくなる。霧地帯を通り過ぎ、出口に向け体を丸めてさらなる追撃態勢を取る。

もう一度の爆風。それをまた通り過ぎると甘美の出口がすぐそこにあった。

無心だった心にメイクしたいという欲望がおきる。

だが円は縦長の楕円へと変化を始め、無情にも閉じてしまうことを表現し始めた。

その時もう一度内部爆発(エアスピット)が起き、一瞬で外に押し出された。

夢で見た人生で最高のチューブライディングの追体験だった。

沖を見るとその距離は直線にして150m。

岸から歓声が聞こえ、沖へ向かう途中の何人かはこちらを向いて拳を突き上げていた。

言葉で表現するなら歓喜でも感動でもなく恍惚な、大げさに言うなら臨死の黄泉の国から戻ったような輝いた世界がそこにはあった。

今まで自分の中のバレル人生トップ3があり、それはメンタワイ、ラグスライトの長い距離を忘れてしまうほど突っ走ったのが1位、2位には4月のロッキーライトで、ガスチャンバーを越えながら抜けていったもの。

3位はラニアケアの大きい大きいバレル。波相手なことと、時間による風化も誇張もあるので順位を付けるにはしのびないが、それらを軽く抜き去る横綱級のものだった。

家に帰りワインで波に、カリフォルニアに、そして2003年に乾杯した。

翌日、そしてさらに翌々日とこの横綱バレル体験は塗り替えられ、それは11日間に渡る記録的な波となった。この写真群はその一部である。



撮った写真ー2500枚(その内、水中540枚)、折れたサーフボード40本(内、自分のボード4本)、怪我人多数、救急車+消防車出動2回、水温15〜16度、気温12度〜31度。

集まったサーファー:マット・アーチボルド、ケーシー・カーティス、パット・オコーネル、ディノ・アンディーノ、クリスチャン+ハービー・フレッチャー(唯一のロングボーダー)、マイカー・ピッツ、ブレント・バーシャ、タイラー・モアヘッド、ジェイソン・ムーア、デイブ・ピント、デイブ・ポスト、ネイト・イヨマン、ラスティ・ロング、ジェイ・ラーソン、ビンス・デラペニャ、ブレット・シンプソンズ、ジョーイ・マンティス、ライアン・シモンズ、コール・シムラー、ティミー・パターソン、ダナポイント・ローカルズ。


Parting is such sweet sorrow.(甘く切ないお別れ)

蛇足だが、元旦午後3時からTV中継したローズボウル(大学フットボール決勝)のおかげで、この時間から日没にかけてたった8人程度で波を楽しむことができた。

そして1月6日を過ぎたあたりからクリスマス休暇が終わり、波にも乗り疲れたのか少人数でバレルを満喫できた。

このままずっと波が終わらないような気がしたある夕方、1/11日をもって波は頭以下に下がり、この連日のセッションにピリオドを打った。



熱帯夜、真夏日、一日中吹くオフショア、連続する北西、西北西うねりと、南カリフォルニアには珍しく特上の条件が揃った。

しかも節目の元旦からの始まり。

後日サーファーズ・ジャーナル誌のジェフ(・デヴァイン)とこの時の波の話をしたら、あの時の気圧配置は珍しいもので、今まであんな完璧な天気図を見たことがないという。

同誌エディターのスコット・ヒューレーは12時間車で下ったバハメキシコで夢のような甘美なセッションを連日経験していた。

ちなみにパットとKC、また字数の関係でここには載せられない多くのサーファー達がこのセッションに於いて「人生で一番のチューブを体験した」と報告してくれた。

バレル内15秒ライドなんて普段は信じられないけど、このブレイクを生で見たら誇張でもなんでもないことがわかる。

2003年が特別な年だということを身を持って味わい、サーフィングというスポーツの緻密さ、奥深さを味わい、それぞれのサーフィング道は遥か遠くまで伸びていった。

追記:姿を現さなかったラリー・ムーアは大晦日に倒れ入院していた。

そして1月3日に頭蓋骨を大きく開けて、野球のボール大の脳腫瘍を取り除く緊急手術を行った。

9割以上の確率でもう2度と目を開けることはないだろうと噂が飛んだ。

彼の大好きな波、そして思い入れがあるこの場所、ここでラリーを見られなくなるのは寂しかった。

翌日、手術は成功した、とサーフィング誌発行人から喜ばしい内容のメールがきた。

それから数日後、ここにラリーが三脚を持って現れた。

それを見た全員が驚き、近寄っていくと、鉄芯で留められた傷口を隠そうともせずに両手を天に広げて「帰ってきたよ」と大きく笑った。

聞くと退院後直接やってきたそうである。

波乗りに対する情熱、記録する側の執念を垣間見た瞬間であった。

皆はプロ意識というが、俺の見解はサーフィングという呪いにとり憑かれた怨念だと思う。

それがその通りだとしたら、この生涯をかけて浸食されてみたい、と頭の片隅で考えたりもした。

そのくらいサーフィングとは幸せで、美しいものだということだろう。

(初出、サーフファースト誌2003年、■2/6/2003)


キャプション(写真はお隣のタイドブログに詳しいです)

お隣のブレイク(ここもシークレット)へのセット攻撃。
見たとおりのレフトで、ガンを使ってもヘビーなブレイクだったとティミー・パターソンが語ってくれた

老練ハービーの渋いダウンザライン。
板には自筆で放送禁止用語がいっぱい書いてあり、不良中年ぶりを発揮していた

1.KCのディープバレル:
6時間に渡るセッションが終わりにさしかかっている。
ファーストセクションからセカンドに移行中のKC。
ここからシングルフィンのアクセルを思い切り踏みこみ、グリーンゴールド色の至福を味わうのだろう



2.Joeyのボトムターン、リップ側から撮っているやつ(水中):
岸(写真右奥)の白い波があるところが最終地点で、この波のエピソードは今始まったばかり。
元FBIのジョーイ・マンティスが巡回警備に出発したところ

3.インサイドセクション、チューブの中から両手だけが見えているショット:
子分を従えて現れた番長ディノ・アンディーノの1本目の波。
セカンドセクションでスピードを得ようと前を踏みすぎるとこうなるという典型的なワイプアウト

4.ブレイクの全景。
手前の岩がごつごつ見えていて、沖ではチューブライディング中
ロッキーショア全景。この正面までバレルは途切れず続く。サーファーはマット・アーチボルド。

5.MATTの7枚シークエンスの7枚目(水中)
少年から老人まで大人気のカリスマサーファー、マット・アーチボルド。
予定のハワイ行きを延期してこのセッションに毎日現れた。
その走りっぷりは当世きってのチューブライダーだということを目撃した誰もが思ったはずだ。
バリバリ伝説波乗り編

6.CFの仮面ライダーストーリングバックサイド、2枚目の方
''スパンキー''というロスのポルノショップにスポンサーされているクリスチャン。
この仮面はその店からの提供品。
会うのはひさしぶりだったが、悪童ぶりがさらに増していた。奥に誰が乗っていようがこのマスクをかぶったままドロップイン。
怒るというより、あきれはてて誰も何も言えない、というのが実状だろうか。
ファーストセクションで少しでも奥に入るべく全身ストール実行中

7.CFのグラブレイル(水中)
バックドアで鍛えてきたぜ、というセリフを残すだけあって、ピッグドッグ(グラブレイル)の滑りと肝の座りは超一流だったクリスチャン。
この後、ボードが真っ二つに2本も折り、最後の3本目もリーシュが切れてボードを壊し、翌日は自分のボードを手に当て、小指を骨折後退場。かぶき者故のカルマなのか

8.マット、ミニバイクで波チェック
ランチのピザを買いに行くのも、トイレに行くのもこのバイクを使っていた。
実際は交通違反行為なのだが、見て見ぬふりをするライフガードの顔がなんとも言えなかった

9.KCビッグスナップ2枚シークエンス:
シングルフィンからスラスター(トライフィン)に乗りかえると最初にしたくなるのがこのパワースラッシュ。
生きている喜びをレイルに託す

10.NATE YEMANS、グラブチューブ2枚シークエンス
007のような落ち着きと、古風な蹲踞でバレルを席巻していたネイト。
ビラボンの秘蔵っ子で、エアからバレルまで完璧にこなす。
これから旋風を巻き起こす要注意人物
(注:2008年7月28日現在、ネイトはWQSで総合7位につけています)

11.Jay Larson、3枚グッドカットバック
ハンティントンビーチからアクションを持ち込み、ショーオフする新婚ジェイ・ラーソン。
速く狭いターンがうらやましい

12.ナキ、リラックス、ダウンザライン
ミニマムなターン数、バレル内のラインを重要視してみた。
撮影前後と、誰よりも多くサーフしたていたと思う。
夕方の色彩の深さを味わい、さらなる波乗り道への探索

13.ペリカン3羽ローカルズ
スーパーブレイクへの査察団一行様通過中

14.岬上でマットとケーシーが立っている
干潮を待つKCとマット。
途切れることのないうねりと、いくらあっても足りないフィルムと体力。写っているのはファーストセクション

15.月と夕焼け
サーファー版ディズニーシー。
ほぼ毎日この色系の夕焼けだった。
普段見えない岩を露出させた最大干潮時(マイナス1.5フィート)

16.縦位置の夕焼け
酒の種類と、夕食の献立を思案している時間。
または焼ける空からの暖色カタログ

17.ディノ、リップクラッシャー3枚シークエンス
ディノの必殺技「ディノスラッシュ」。
パワーとコントロールが織りなす芸術的な一瞬。
これも奥側にやってくるアクション系の切れ波

18.パット、レイバック気味スナップバック8枚
奥に切れた波が入ってくるが、そのほとんどがこういったアクション系のマニューバーを描くことになる。
この完全な重力移動を見ていると、いますぐに波乗りがしたくなるほどすばらしいターンだ

19.マット、チューブ8枚
バックドアのように次々と現れるフォトグラファーをかわしながら、曲線を眺めている、または壁を伝わるマット

20.ヴィンス・デラ・ペナ、インサイドチューブ
午後の逆光はサーファーにとって順光になるため波がよく見えるという利点を持っている。
スムースな斜面での滑降タイム。
ヴィニー・デラペニャ

21.パット、セミスタンディングチューブ、2枚組の1枚目
神様トム・カレンを模写しているような美しいフォームのパット。
彼にとってここは庭同然のブレイクなので、メイクするというより、バラエティ豊かなマニューバーの組み立てを考えているという

22.Nate Yeomans、4枚?シークエンス(水中)
深度と、凹みの出現の推移が見て取れるだろう。
このままバレルは深く低く下がっていく。
セカンドセクションでのネイト・イヨマンズ。ストールし過ぎな4枚目



フィジー、ディーパーズでの俺です↑

波がすごいので折れてもいいボロボードでやっていましたが、結局折れずにここにまだあります。

暑いですね。
さっき朝日新聞コムを読んでいたら岐阜で39度あったらしく、体温よりも高い大気じゃまいっちゃうだろうな。

でも冬のあいだ、あれだけ待ち望んだ夏の到来です。
どうぞ楽しんでください。

夜明け頃、風が止んだのでホワイトハウスに行く。

着くと大きな虹が立ち上がっていて、しばし呆然とする。

波数が少なかったが、無人無言のサーフセッションに禅を感じた。

夢心地というのかはわからないけど、波が遙か遠くに感じる。

いつ来るかわからない波を求めて、水平線を見つめていた。

虹はしばらくあったが、いつのまにか消え、車に戻るといつもの音と感覚が戻ってきた。

ひさしぶりの深い感覚に「なぜこんな感じ方をしているのか?」と自問するが、答えは出なかった。

帰ってきて、オフィスに降りて仕事をしながら野球を見ていると、レッドソックスとヤンキースの試合をやっていた。

長年ライバル球団のゲーム差2という後半戦の鍵となる試合だ。

個性的な集団で知られるレッドソックスには、主砲にマニー・ラミレスという選手がいる。

彼がいるから個性的だと言われるほどで、それは群を抜いている。

俺が知っているマニーのいくつか

1.試合中守備位置にいなくなって、みんなで探すとスコアボードの中から出てきた。(後日ここは『マニードア』という名がついた)

2.「マニーの守備」と言われるほど守備範囲が狭く、全力プレーをしないので、見ているほうはハラハラする。で、彼がボールを捕ると、その意外性に観客は大喜びする。(レフト方向に打球が飛んだ時が見ものです)

3.対戦相手のスカウティングレポート、つまり投手の決め球はこれだ、とかカーブを投げる、速球は何マイルで、勝負球は外に切れ込む、等の情報を一切見ない。これは野球がつまらなくなるから見ないのだそうで、それでもあの打撃成績を残しているのだから、天才とされている。

4.昨年のチャンピオンシリーズ(準決勝)の際に(4回勝てば、決勝進出)レッドソックスは0勝3敗とインディアンスに追い込まれた。気合いの入るチームメイト。普段は一切インタビューやコメントには応じないマニーが珍しく口を開き、こう言った。
「これで負けても地球がなくなるわけではないからいつも通りやるよ」
これに気合いの入っていたチームメイトたちはみんなずっこけたのだが、レッドソックスはここから破竹の8連勝を飾り、ワールドシリーズを制覇した。

そんな彼の第二打席。
三回の裏。

ワンアウト、ランナー1塁でレフトライナーを打ったのだが、まったく走る、いや歩くそぶりすら見せず、二歩くらい一塁方向にバットを持ったまま歩き、打球の行方を見るマニー。

このプレーにかみついたのがFOXの解説者で、

「マニーはけしからん!あれでレフトがボールを落とすこともあることを考えて、一塁までは走らなくてはならないんだ。チームプレイが一切ない最低なパフォーマンスだ。マニーであること、と持ち上げられているけど私は野球人として彼に幻滅した」とまくしたてた。

リプレイで何度も彼のその動きが再放映されたから、TV中継で見た人もいるだろうが、みなさんがどう思うかは別として、俺はこれもメジャーリーガーぽくっていいなあ、って感じた。

だって通算500本のホームランを打って、生涯打率が三割を越えているマニーは、その存在だけでチームプレイを越えたものがあるんだと思う。

だからマニーにはどんどんマンガみたいなエピソードを続けていってほしいな、という怪物伝説に期待します。

これからのサーファーもこうあるべきな気がします。

まじめに「がんばります!」だけじゃなくて、自分の意見を言い、一風変わった動きを見せてほしい。

で、エルサルバドルで出会った変わった動きをしている「世界一周サーフ旅行中」の亮太くんからメールが届きました。

今イースター島にいるのだそうで、不思議なモアイ像の沖でブレイクする波の画像が届いた。



こんなライト波もあるのですね↓
だらだらいい波系だ!



これは多分モアイ前のレフト↓
パワフルだなあ。



彼のボードとモアイ↓
NAKISURFボードがイースター島に着いた日でもあります。



夕陽にさようなら。



モアイは大きいものだと15mあるそうで、巨大銅像が苦手な俺が行ったらすくんじゃうのだろうな。

亮太くん、どうぞ無事に旅を続けてください!
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プロフィール
名前:Naki 2009 または船木三秀
HP:NAKISURF
性別:男性
職業:専門職
趣味:海
自己紹介:
 11年暮らしたカリフォルニアからノースハワイ島に住みかえ、毎日クオリティの高い波で波乗りをしています。

 私は波乗り殉教者で、肩書きはプロサーファー、写真家、画家、ルポライター、デザイナーです。

 風が創ったさざ波が合わさり、遠くの洋(うみ)から陽の下、夜の中を駈けてきたうねりに乗る、というような気持ちで波に接している。
 その欲求と探求心は飽くことがないようで、小さい頃からの夢であった世界の海を旅し、自分なりのアウトプットを続けています。

 波を知ることは海を知ること。その深遠無限のインスピレーションを感じ、ゆらゆらと絡まった日々をこのブログで綴れたらなあ、と。

 そんな波乗りの奥深さ、その意識や感覚を文章、写真、絵で表現できたらと思っています。

 同業の方、同じ夢の方、海が好きな方、波乗りを愛する方、この場でお話しましょう。

 ありきたりの道具論に留まらないメッセージをみなさまと創ってみたいのです。

 また、カリフォルニア州、サンクレメンテ発のサーフショップ『NAKISURF.COM』も運営しております。

 こちらは長年培ったサーフ業界のコネクションを活かし、世界で一番誇れるWEB STOREを目指しておりますので、どうぞご覧になってください!

ぜひ!

 どうぞよろしくお願いします。
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