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えー、波乗りはぁ、そのですね、意識のホットな斜面ともうしますかぁ、そのオートマティズム(自己噴出)を滑走させることで、ビーバップ革命が起きるわけでして、それを複数の層で重ねることによって、スピリチュアルな熱量が伝わるのです。

その民族性を基としまして、各々のサーフボードを沖に浮かべ、波に滑りながらレイルを波に傾けることで加速するわけです。

普遍的で保守的だった今までの趣味はこの愉しさによってぇ、えー粉々に打ち砕かれるのですぅ。

これを歴史で紐を解きますとぉ、『ナポレオンのウォータールー(ワーテルロー)の戦い』まで遡ることとなりましてぇ、「波乗り意識の革命」と「満領域に達した余暇」というテーゼがひとつにまとまることを実現したのですぅ。

さらには、その波に乗るという行為は関ヶ原の戦いと、ローマ革命への関連性は全くないもののー、プラトンがソクラテスに感じた「フィロソフィア(愛と知)」とは遠からず、セットが押し寄せてくると、雨の前の雲のように胃を重く取り巻きます。

この感覚はぁ、リーダース・ダイジェスト社刊、ヘイエルダール著の『コンチキ号漂流記』の黄色い本の冒頭にある「得体のしれない恐ろしさ」まで記憶を遡ることになります。

サーファーの持つ自律的領域の深層を精神面で見ますとぉ、社会的、立法的、その他イデオロギー的観念によって媒介される諸行動は沖に出ることと、波に乗ることはとてもフィジカルで分離不可能な賞賛されるべき分子を発する要素をなすのでありますぅ。

と、今日は東大は、本郷の大講堂(安田講堂)での講演でした。

相手は東大生なので、肩を張り、背伸びをしつつ波乗りを説明するにあたり、俺の知っている言葉をフルに使い、オーガニック系の論文風味で一気に話し終えた。

しかし、今回お集まりいただいた受講者には難解過ぎたのか、講堂一番奥に座ったきんちゃんとリリーさん、一平君とあっちゃん、そして高林さん、そして早川さんたちがなぜか音をさせないように拍手のふりをしていた。

「あれ?反応がないのはまずいな」と思い、

ではもっとスペクタクル化された波乗りストーリーを話そう、と思った瞬間に割れんばかりの拍手が起きた。

それはずっと続き、このまま舞台の裏に行こうと思っていたが、なかなか拍手が止まず、そして足が動かないでいたら

拍手は大雨の音だった、ことを理解しながら目を覚ました。

つまりそんな夢を見ていたのだった。

夢にしては難しいことを考えていたな、と思いながら波をチェックすると、「フラットから足首」というノースハワイにしては珍しいコンディションだった。

よーしそれなら「本日はノーサーフ」と決め込み、サーフィンライフに出稿するAVISO広告への原稿、

そして「なみある?」ムービー4本を一挙に編集していると、マイク・ベッシェンがショーンを連れて遊びに来た。



このマイクはシェーン&ギャビンで知られるベッシェン兄弟のお父さんである。

2年前に越してきて、家族づきあいをしている。

グッドサーファーで話が長いのが欠点と言えば欠点だが、それは長所でもあるのでナイスガイなのである。

ショーンはギャビンの妹のハズバンド(夫)で、シェーンたちにとっては義理の弟なのです。
生粋のボストン子で、レッドソックスを溺愛しているのも付け加えておきましょう。

先ほどレッドソックスがポストシーズン進出を決めたので、ショーンは手を叩いて帰っていきました。

さて、里帰りもつかのま、カビカのあっちゃんが長期の日本出張です。
リフエ空港まで送ってきました。

彼がCEOをしているイシハラマーケットのシャツがお似合いです。



大雨も上がってビューティフルな緑を発する山々。

この下に池があって、たくさん魚がいそうだなあ。



そういえば、カリフォルニアで乗ったコールのレトロフィッシュ5'2"の映像をYOUTUBEにアップしていてアナウンスするのを忘れていました。

いかにコールであろうと、懐古主義のアウトラインを扱うのはむずかしい、という典型です。

でも、レトロフィッシュを擁護するわけではないけど、このあいまいなほんわかした乗り味は懐古そのもので、時代に逆行するように後ろ向き、つまり逆真流をカメラ前で披露したのです。



旧い文化の全体性を着想させるスペクタクルなアウトライン。
それとはうらはらに乗ったとたんに醒めるのがこのデザイン。

ただ単に俺がテイルを踏んでいないだけなのかも、と反論を怖れてここで閑話休題。

この世に散らばるあらゆる事象へ、創作における欲求が増しはじめた。

〜の秋というわけなのであるが、「写真を撮る」という行為はそこから発生していて、しかし一度でも写真=作品を提供しようとすると、しばし支配的な業界における諸価値に参加させられる。

それをさせるべきか、それとも俺のリベラリズム(自由主義)を通すべきなのか、またはその融合には何を必要としているか、を考えていた。

終わることのない巡りめぐる疑問だが、近頃それがますます激しいものになってきた。

「まあ、俺はマーケットに感化されすぎだなあ」

と反省しながらランチタイムには、あっちゃんに買ってきていただいた椎名誠の「わしらは怪しい雑魚釣り隊」を読んで、そんなこんがらがってもつれた商業精神を初心に戻すべく、しばし読書で精神修行の旅に出た。



兄弟ドレイと長老P高橋の掛け合いがおもしろく、俺たちもこんな休日を過ごそうと計画しています。

日本に行ったときは第一弾として関東のどこかで主催したいです。

今日は祭日明けですね。

どうぞ良い日をお過ごし下さい!
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西日本を縦断した台風13号は、とうとう過ぎ去ったようですね。

最後は太平洋に出て、そこからは足早にという進路だったので、波はあんまりだったのかな?

キンチャンズのきんちゃんは地蔵裏で寝泊まりしたそうですが、大丈夫だったのかなあ?

と心配しているのはumi cafeの一平くんです。

さて、883回記念のトニー・ザタイガーの当選者発表です!

弊社柳瀬がご応募された方のお名前の書いた紙を伏せて置き、拾い上げて当選者を決めたようです。

そして、今回はこの14名がトニーをゲットしました。
元々は12名だったのですが、あまりの応募に個人用の中から2つを当選に回しました。

当選者さまで、お名前、ご住所、郵便番号がまだの方はどうぞ弊社のメールアドレス、shop@nakisuf.comまで送信ください。

その際は題名を「トニー当たりました!」としてください。

当選者は

☆竹内さん(メールから)

☆古川さん(メールから)

☆浅間さん(メールから)

☆寺中さん(メールから)

☆Kana Ohishiさん(メールから)

☆大神田さん(メールから)

☆ドニーさん (ブログコメントから)

☆ひげ〜〜〜81さん (ブログコメントから)

☆トメカレンさん (ブログコメントから)

☆kazuさん (ブログコメントから)

☆しんすけさん(なみある?コメントから)

☆ゆうさん(なみある?コメントから)

☆樋田さん(メールから)

☆山田さん (メールから)

です。

ありがとうございます!

こちらノースハワイでは、ずっと続いていた南うねりも収まり、昨日も乗ったINTフィッシュを使ってタンデムに挑戦してきました!



長さ5'10"



ソフトな憎い奴。
フィンもソフトで、センターに大きいのが一応ついているけど、ビヨーンって曲がっちゃうのであまり役には立っていないようです。(笑)



スポンジなので、柔らかで安心。
INTはこれにつきます。



他社との違いは剛性らしく、しっかりとしたターンができるのです。
そしてへこたれません。

フェイマス社のジェイミーもこっちでサーフスクールを経営していますが、このINTを100%使用しています。

1年毎日8時間使っても大筋には問題ないという耐久性。

さて、向かったのは闘牛岬。



同乗者はアニー(7才)。
彼女の体重が30kg。

俺の体重が62kgだから合わせて92kgだ!

で、いきなりピークからテイクオフ!

というか浮力が足りていないので、ここからしかテイクオフは不可能でした。



横にいた初心者であろう白いラッシュガードの人が驚いていました。(笑)

この切り立ったセクションはグラブレイルして耐えました。

きっとアニーの顔も引きつっていることでしょう。



カイラ(前)、ノアは後ろで逆真流ノーズライドをしています。



ノアの逆真流を見て、またあの白い人があんぐりしていますね。(笑)



タンデムのバランスに慣れてきたら普通に乗れるようになりました。
ノーズ寄りにアニーを置くのがコツです。

ふたりでにっこにこです。



お子さん、または友人、恋人、配偶者、ご両親、または親戚、他人とのコミュニケーションにいかがでしょうか?

ボードサイズを大きめにすれば、合計体重にもよりますが、大人ふたりが乗れるおもしろさです。

(おまけ)
新しいサーファーマガジンが届きました。

その中にはおまけとして、ドノバンのニューアルバムのサンプラーが入っていました!



あの日、ドノバンバンドのグルーヴががこの中に永遠に刻まれています。
最高!
今日はAVISOジョンと早朝から三日月湾に行ってきた。

AM3:00 起床

AM4:30 自宅を出て、

AM4:45 集合場所で合流。

真っ暗なハイウエイを北上していくと、前のピックアップトラックが酔っぱらい運転か、居眠りのいずれかであろうことを知る。

速度が速くなったり、遅くなったり、反対車線に蛇行したり路肩に突っ込みそうになったり、いきなりブレーキを踏んだり。



写真を撮っちゃいました。

結局この危険極まりないこのピックアップトラックはプリンスビルで右折しましたが、その後どうなったのだろうか?

AM5:40 北海岸、三日月湾駐車場到着。



真っ暗なのにサーファーの車が30台以上。

「いやだなあ」と直感する。

AM5:50 パドルアウト。

薄暗い沖に出るとサーファーがいるいる、ものすごい数だ。

大晦日のアメ横か、元日の鶴岡八幡宮、または平日夕方6時の渋谷駅を思い出した。

友人リックを見つけたので話をすると、

「お前はラッキーだ!今日はめちゃくちゃ空いているぞ。さすが季節外れのうねりだなあ」

とうっとりと言う。

ガーン!これで空いているとは。。。

後学のために何人入っているか知っておこうと数えると、

スタンドアップパドル(SUP)8台

ロングボード15人

ガンタイプ11人

フィッシュ系5人

ショートボード4人

の計43名であった。

もう一度言うが、これは日の出前の数字で、太陽は岸の向こうの山々の後ろで、空はオレンジ色に染まっている時間なのです。

特に強敵がSUP軍団で、8人の内、2人ほど乗りまくっていて、誰も何も言わないところをみるとレジェンドの人たちなのだろうか。

ひとりはボートみたいに浮くSUPを乗っていて、むやみやたらに漕ぎ、横には曲がれないようで真っ直ぐ降りて、みんなのひんしゅくを買う寓話のようなSUP。

「この島で一番混雑する波」その実際はものすごい世界だった。

「これなら闘牛岬に行き、のんびりと波に乗っていればよかった」

と後悔するが、ジョンの「世界で一番乗りたい波」なので、ぐっと我慢する。

で、俺とジョンの乗れる波と言えば、

1.奥から行き過ぎて抜けられないサーファーを見ながらショルダーから

2.SUPがロングの前を塞いでしまったのを横からレイトテイクオフ

3.誰も行かない小さなタル波

4.奥から行ったサーファーが無理やりチューブに入って、抜けられないだろう、と仮定してパドリングを始め、チューブ内でワイプアウトしたのを確認してからテイクオフする波

という4種しかなかった。

みんなはそれぞれに悪い言葉を叫び、吐き、精神苦痛の氾濫であり、それはまさしく心が落盤していくような繰り返し、つまり潮騒のようだった。

ここには楽しい波乗りは水平線の向こうにあるようだ。(島の反対側か)

といつもの分析主義に浸っていると、前から来たSUPに轢かれそうになった。

「もうこれはだめだ、さっぱりと上がろう」と決意してから小一時間して、ようやくインサイドでピークから乗れた。

上がって時計を見ると、

AM7:50 辛い120分間であった。

AM8:10 ジョンが上がってきて、

「なかなかのセッションだったな。価値がある一本だったぜ」と言い、俺はそれにあいまいに話を合わせるが、興奮している彼には俺の憂鬱は見いだせなかったのが不幸中の幸いだった。

『松の木』というビーチブレイクを見に行き、ここから一気に南側まで戻ろうということになった。



ノースハワイのノースショアの街。



美しい教会。



タロイモ畑。



途中、東側にあるカパアという街で朝食をということになった。



サーファーズ・サンドイッチというベーグルにトマト&チーズをはさんだものと、カフェラッテをいただく。



AM10:08 南側。ホワイトハウスに到着すると、潮は上げているが無人でブレイクしていたので、すばやく入水する。



ジョンのダイエットも兼ねているので、結構スパルタなスケジュールである。

AM11:26 潮が上げすぎたのかブレイクしなくなったので、西の闘牛岬に向かう。

PM12:11 闘牛岬到着。

ボードはジョンがJJ Rocket fish 6'6"、俺がジョンのレンタカーに入るようにBD3。



PM12:27 パドリングアウト。

オンショアが強く、たった3人だけだったが何本か良い波に乗って大満足。
今朝の大混雑はここには全くない。
日焼けで目が痛い。
お腹が空きすぎ、ジョンがコーヒーのおかげで「胸焼け全開だ」と景気の悪い感想を漏らす。

PM2:37 闘牛岬セッション終了。

PM3:14 AVISOミーティングを開始する。



弊社からの項目は11,AVISO社からは14に渡る長いものだった。

このミーティングから読者への案内としては、千葉は太東岬で始まるテストドライブにAVISO社から全面協力してもらうこととなった。

PM4:26 ミーティング終了。

PM4:44 ブログ執筆開始。

今日の教訓

「定員オーバーの収容所化した季節外れの高名サーフブレイク」

(おまけ)
interFMの人気DJフーミンの行きつけのお店『運河丼 千春』



松山千春さんの大ファンか、肉親の人経営であろうことは明確であるお店。
行ってみたいなあ。

(おまけ2)
弊社柳瀬のお気に入りのお店「レッド・マンゴー」



最近カリフォルニアで大流行しているフローズンヨーグルトです。



(おまけ3)
「『釣りバカ日誌』の浜ちゃん、ハワイにやってきた」編。



猛烈な引きのロウニンアジですが、このサイズとなると怪物級のファイトをしそうで恐いなあ。


AVISOのジョンとニックで長いミーティングをしています。



場所を変えて、とホテル内を歩いていたらタヒチアンかな?
フラショウにハワイを知り、観光の人と一緒になってパシャリ。



ということで今日はものすごく短いのですが。この続きは明日に!

先週のブログなんですけど、日曜日から昨日の土曜日までの文字数をカウントするとなんと26800字もあった。

とすると一日平均3800字もあり、少し書きすぎたと反省する。
まあ、ネタ切れにならないように気をつけます。



昨日の夕陽はきれいだったなあ。



溶けるような、それでいて悲しくなるような風情があり、もしこの軒下にカレーのにおいがしたら完全に昭和だなあ、とその頃に連れ戻されそうになった。



AVISOを率いるジョンと王子ニックがノースハワイ・ミーティングにやってきました。

AVISO社での王子の役職は、インターナショナル・セールスマネジャーなのでこんな時には必ずやってきます。



サーフィン業界の常で、ミーティングは朝暗いうちに待ち合わせて、一度サーフィンをしてから始めるようにしています。

これがやりたいからサーフィン業界にいる人も多いはずです。



文字通りボードミーティングですね。

闘牛に行き、それからマクドナルドで朝食。
AVISOライダー最高齢のピートにごちそうになりました。



その後、潮が干いたからホワイトハウスに行き、オーバーヘッドサイズ波を3人だけで。

これにはジョンとニックも驚いて、「最高だよなあ」を連発。

いいセッションとなり、1日に2回もサーフィンするのはひさしぶりです。
その後のミーティング第一回はまず様々なお題を挙げて進みました。

後日報告しますね!

それから伝説的なフラダンサーのレイラ・パヴァオさんの結婚セレモニーがあるというので、教会まで行ってきてその模様を撮ってきました。

あいにく曇りだったけど、こんな色彩の心温まる式でした。



そして、




勝手に師と仰いでいた赤塚不二雄さんが昨日亡くなりました。



子供の頃にもうれつア太郎、おそ松くんで彼の作品を知り、そして天才バカボンで完全に私の神、教祖さまとなりました。

失敗したり、落ち込んだときは彼を思い浮かべて「これでいいのだ」とやっていました。



ご冥福をお祈りします。

上の写真は私のコレクションからです。

なので、これから大事にしていた曙出版刊の天才バカボンを出して、赤塚先生を偲びながら彼の作品に浸ります。



↓俺の好きなエピソード。
「サンドバッグをたたくのよ」

とおかまのコーチがバカボンに指導すると、ハンドバッグをたたいてしまい、

「やーね、ハンドバックじゃないわよ。これよ!」



と言うコーチの胸毛にアバンギャルド・アート(前衛芸術)を教わりました。

「酒と笑い」

俺もそんな人生にしたいなあ。

「先生、ありがとうございました!」
暑いですね。



こちらノースハワイでは一足早く新学期が始まりました。
アメリカでは夏に学年が変わるので、新一年生や新中学生が誕生した日です。

公立校は去年くらいから「イヤー・アラウンド制」を採用している。

これを簡単に説明すると、児童、学生の年間休日は決まっているのだそうで、それを夏に3ヶ月間まとめてとらずに、秋、冬、春休みを増やしたり、不定期に月、または金曜日に休みとし、三連休、四連休を増やそう、というシステム。

夏休みが長すぎて、だらだらと過ごしていた子供を見るのが辛い俺にはとても良い考えだなあ、と実感したのだが、アメリカで育った永い夏休みに慣れた親には不評である。

不満に思っている友人と少し話した(ディベイトか?)が、「長い旅行に行けなくなる」というのが一番の理由だった。

でもここは全員が島暮らしなので、旅行に行くにも航空運賃がかかる。

ちなみに今年の夏休み期間は、原油高のせいもあり運賃が倍以上に跳ね上がっていて、ロスアンジェルスーホノルル間は往復運賃で普段600ドル程度なのに、1400ドルという値だ。

それもアドバンスの格安値でそれだから驚いた。

俺はそこでその運賃を引き合いに出して、「夏に旅行と言ってもチケットが高くて旅行できないから一緒じゃないの?」と斬り込んだら相手は「ウググ」となり返せなかった。

これだと、航空券と滞在費だけで親子5人が80万円くらいの旅行となっちゃいます。

世間はそんなことになっている2008年。
俺の予想だけど、アメリカはこれから不景気となっていくのだと思う。

昨日の傷心ということもあって、リフレッシュするために波乗りを断念した。

ドノバンから電話があった。

「カリフォルニアのサーファーマガジン誌オフィスにいて、いくつかの質問がある」というので答えられるものに返答した。

なんでも彼がゲスト編集長の特集号を製作しているんだそうで、それがうれしいのか、かなりハイになっている。

こんな会話だった。

D「ねえ、日本で飲んだスーパークリアーのめちゃくちゃ強いお酒ってなんだっけ?スイートポテトかライスでできているって聞いたけど」

俺「それは焼酎だ」

D「ソーダSOJUだった!イエイ、ベイビーソージュー!!」

俺「違うよショーチューだ。S・H・O・C・HUと綴るんだな」

D「ソーダッタ!ショチューだ、アリガトゴザマス!それと日本のギターの名前を教えて?」

俺「弦は何本だった?」

D「3本で、ジャンジャンチャン、チャンチャンチャン♪」(と弦楽器の音を歌い始めた)

俺「サンシンだね。SANSHINと綴る」

D「オーイエイ、サンシンだな。あれはスーパークールなインストメンタルだ。次だ。島でママさんがやっている宿泊所の息子の名前は?」

俺「緑。MIDORI」

D「違うなあ、そいつじゃない」

俺「もしかしたらファーストネームで憶えているんだよ。ヨシト、YOSHITOかな?髪の長い、痩せたグッドサーファーだろ?」

D「ヨーシ!それそれ思い出したYOSHIだ!」

とまあ、こんな感じで多くの質問に答えていた。

彼の中で日本旅は思い出深い旅行だったのだろう。

次にコールから電話で、クアッドのバックフィンについて詳しく突っ込んだ話をした。

「ダブル以上の大波になると、シングルフォイルの方が抜けがいいから次のうねりで試すように」との指令。

彼はサーフボードをさらに進化させようとしているのですね。

日本から荷物がふたつ届き、ひとつはボードラック。
日本製ってすごいなあ、精密完璧でした。

これでアイディアがあり、それと製作者のタカオさん、そしてライダーの勇人さんと話す。

勇人さんは今日から台湾へのトリップに出発するそうで、台風8号のうねりがありそうですね。

スズメバチに刺されたばかりで、心配したが一回目は平気なんだそうで、でも耐性がなくなっているので2回目を刺されないように気をつけないと、とのことでした。

もうひとつは中根博士が発明した『アクアノイド』という特殊フィルムで、ボードのボトム面の核となる場所に貼り、速度と操作性を高めようというもの。

こちらもサーフボード表面をさらに進化させるというコンセプトです。
ハイテクはすごいぞ。



ご存じのように水は空気よりも高い抵抗を持っているので、そこを高度応用した製品である。

水泳界ではspeed社のハイテク素材が注目を浴び、それが主流になっているが、その説得力も手伝って、どうしても試してみたくなった。

フィン用とフィン周りに貼る製品が届いたので、後でBD3に貼りその効力を試してみますね。

閑話。

新学年のノアとスケートパークに行き、誰もいなかったので写真撮影をしてきた。

奥に見える両ドアが空いたサビタ2号はカビカのあっちゃん号だが、こうしてたまに乗って、乾かしている。

ちなみに今売りに出しています。
4駆です。
窓は壊れていて開きません。
雨漏りします。
もちろん安いです。
ご希望の方は連絡をください。



彼のボヨヨンはあいかわらずで、「メロングラブができるようになった」とにこやかに俺の上を飛んでいった。

真上にある太陽も写したく、こんなアングルでも撮りました。
これはインディグラブ。



真夏の空って青いなあ。



ノアがサーフィンを始めた頃の写真も出てきた。
小さいなあ。
顔が真剣でかわいい。



5年前で、場所はサンクレメンテ。
いいなあ、俺もサンクレメンテでサーフィンを始めたかったなあ。(笑)

↓これはその当時のサンクレメンテピアで一平くんに撮ってもらった一枚。



筆記体コカコーラ風のコールロゴTを着ているノア。
このシャツはどこに行ったんだろうか?

ではではALOHA!

昨日の昭和編には色々考えさせられた。

小さい頃好きだった知床旅情を見つけた。しかも美空ひばりさんの唄なのでここにアップします。



知床の岬にはまなすの咲く頃
思い出しておくれ俺たちのことを
飲んで騒いで丘に登れば
はるか国後に白夜は明ける
  
旅の情けか酔うほどにさまよい
浜に出てみれば月は照る波の上
君を今宵こそ抱きしめんと
岩影に寄ればピリカが笑う

別れの日は来た知床の村にも
君は出て行く峠を越えて
忘れちゃ嫌だよ気まぐれからすさん
私を泣かすな白いカモメよ
白いカモメよ

さて、ノースハワイはうねりに見放され、今日はさらに小さくなった。
強風はあいかわらず。
そして大雨、快晴の繰り返しで天気にバカにされているのかと空を見ると、本気な虹が一筋。

うーむ、な日です。

ホワイトハウスを見に行くと、サーフできるのだがこんな感じ。



なんとも鮫が怖いような暗い海なので闘牛に行く。

雨上がりのハイウエイ。



これがいきなり晴れた。



闘牛に着くと、良く晴れていて、オフショアだった。
駐まった車の数から混んでいることを直感した。

SUPも2台パドルを抱えて颯爽と前を歩いていく。

そこで、クヌヤロ光線(©椎名誠さん)を後ろから送りながら後ろをついていいく。

沖に出るとやはり混んでいて、雰囲気も悪く、どうやら最悪の状況のようだ。

結局クヤシー思いをして撤退した日です。
あまりこういうことを振り返りたくないが、後学のために書き留めておく。

まず状況を整理すると、パドルができない観光サーファーが5人。

他ロング10台、ショート6枚、子供サーファー4人、ボディボードの子供4人それにSUP2台。

数字を見るとたいしたことはないのだが、今日はサイズが下がったせいで波数が少ない状況だった。

初心者はなぜかピークの奥に行き、テイクオフ→直下→墜落を繰り返していたのでノーカウント。

SUPは1台が奥のロックパイルに行き、これは本気でクヌヤロ光線を送ったかいがあるというもの。

残ったSUPも波を乗ろうとするのだが、サーファーが漕ぎ出すとパドルを止めてくれる紳士的な人なので問題はなかった。

少しして気づくと、波が来るとどんなことをしても(人の後ろからだろうと、前からだろうと)40代くらいのロングボードに乗った太ったサーファーがいた。

その上、テイクオフしてファーストセクションを抜けると、なんと彼はすぐにキックアウトして戻ってきてしまうのだった。

闘牛は長い波が特徴で、今日の腰波サイズでもサードセクションまであり、ロングならトリムしながら岸まで乗れるコンディション。

俺も含めた乗れなかった(残された)みんなは恨めしそうにそのロングボーダーにクヌヤロ光線を送るが、彼は生まれついての厚顔なようでクヌヤロ光線は全く歯が立たない。

ここで景が見えてきた。

彼は11才の子供サーファーをふたり、そして女性ロングの友人(40才くらい)、そしてその娘サーファー2人を連れてきているようで、そのお母さんサーファーも波が来ると見境なく全力でパドルし、人がいようがいまいが波に乗っていってしまう。

そう、この親ふたりのマナーが悪すぎるのだ。

普段だったらローカルの誰かがいて、彼に文句のひとつでも言うんだけど、波が小さすぎるので誰も出動していないという不運、幸運。

で、親のマナーも悪ければ子供も同じで、結果たまにやってくる波は彼ら6人だけのものであることが判明した。

乗れなくて浮いているだけの俺たちはクヌヤロ光線も尽きてしまい、彼たちが帰ってくれることだけを祈るのだが、波に乗りまくって有頂天で帰る気配はみじんもなかった。

なんでもノースショアから希望する子供たちを乗せてきている、という勤勉な親御さんなのだが、俺たちは「頼むから2度と来ないで欲しい」という気持ちでひとつにまとまっていた。

しかし、せっかくの楽しいサーフィン、そして海なのだからみんながなるべく笑顔で浮かんでいたのだが、どうやらそれも引きつってきた。

で、その男親が乗った次の波に俺が乗れることになりました。

パンパカパーン!

本日初のファンファーレが鳴ります。

テイクオフするまでのイントロは仮想MCで、

「苦節1時間、ようやくやってきましたこころの波が、男ふなきがこの美しい波に乗ります。この晴れ舞台を彼の母は天国から涙して見ているのでショーカ?トーギュー波、2008年はナナガツ、ニジュークニチのこの一本デス、ドーゾォー!!」

と自分で盛り上げながらテイクオフすると、なんとなんと、そいつがなぜかショルダーにいて、テイクオフしてくるではないか!?

クショー、バガヤローと思いながら彼の後ろにつくのだが、振りかえって俺を確認しても全くどいてくれる気配がない。

バゴヤロ!ともうワンターン。

まだどいてくれない。

結局甘美なファーストセクションが終わったらそいつは何事もなかったようにキックアウトしていった。

ショックで目が回る。
走馬燈のように人生を振りかえりながら整理すると、俺はこれ以上痛まないように海から上がった方がいい、という結論に達した。

帰り路で思ったのは親として、波を、空間を共有するとかができないとそれは子供にも伝わる、ということだ。

今日の教訓としては、「人のふり見て我がふりなおせ」ということで、知床旅情で精神浄化強化時間としてリピートして、童心に戻っているという次第です。

と書いていたら今日仕事でサーフできなかったフレディから電話があって、このことを簡単に説明し、YOUは仕事で来られなくてラッキーだったぞ」と伝えた。

すると彼は、「ノースショアからくる多くのサーファーは我が強くて駄目なんだ、純朴なウエストサイドの雰囲気を壊すから最悪なんだぞ」と言う。

そうか、そうか、それもあって俺は冬もノースショアでサーフしたくないことを思い出した。

西のイナリーズ、ソフトサンドはサーフィンのピュアなエッセンスがぎっしり詰まっていて、それを愛する人たちがここでサーフしていたんだね。

と話は突然終わります。

今日も長くて、しかもクヤジー話で申し訳ありません。

波乗りって、たまにこういうギャフンな経験をしちゃうんですよね。
で、そうすると普通の日が輝きはじめるというわけです。

陰と陽ですな。

クヤシクなってしまった人は美しい知床旅情をもう一度聴いてくださいね。

で、ピリカってなんだ?

思い出した!
俺は7才くらいに「ピリカ食堂」って入ったけど、それに関係しているのだろうか?
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プロフィール
名前:Naki 2009 または船木三秀
HP:NAKISURF
性別:男性
職業:専門職
趣味:海
自己紹介:
 11年暮らしたカリフォルニアからノースハワイ島に住みかえ、毎日クオリティの高い波で波乗りをしています。

 私は波乗り殉教者で、肩書きはプロサーファー、写真家、画家、ルポライター、デザイナーです。

 風が創ったさざ波が合わさり、遠くの洋(うみ)から陽の下、夜の中を駈けてきたうねりに乗る、というような気持ちで波に接している。
 その欲求と探求心は飽くことがないようで、小さい頃からの夢であった世界の海を旅し、自分なりのアウトプットを続けています。

 波を知ることは海を知ること。その深遠無限のインスピレーションを感じ、ゆらゆらと絡まった日々をこのブログで綴れたらなあ、と。

 そんな波乗りの奥深さ、その意識や感覚を文章、写真、絵で表現できたらと思っています。

 同業の方、同じ夢の方、海が好きな方、波乗りを愛する方、この場でお話しましょう。

 ありきたりの道具論に留まらないメッセージをみなさまと創ってみたいのです。

 また、カリフォルニア州、サンクレメンテ発のサーフショップ『NAKISURF.COM』も運営しております。

 こちらは長年培ったサーフ業界のコネクションを活かし、世界で一番誇れるWEB STOREを目指しておりますので、どうぞご覧になってください!

ぜひ!

 どうぞよろしくお願いします。
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