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”彼はいつも海のことを「ラ・マル」と思っていた。それは人々が愛をこめて呼ぶときのスペイン語だ。ときには海を愛するものでも海を悪しきざまに言うこともあるが、いつでも海は女であるかのように語るのである. . . . 。老人はいつも海を女性と考え、また大きな恵みを与えたり与えなかったりするものと考えていた。たとえ荒れ狂ったり、禍いをもたらしたりしても、それは海にはどうしようもないことなのだ。月が人間の女を支配しているように、海も月が支配しているのだと思った。”-------ヘミングウエイ、老人と海(1952/9/1)


暑。

陽が傾き、視界全てに色づく、穏やかで柔らかき暖色。

それはやがて陰り、大きな、薄い橙色を染みこませた満月が左手から登ってきた。

「ズバン!!」という音を発するショアブレイクの炸裂。まるで砂浜は波に怯えているように震えている。

蒼くなった海が、そらと混ざり、同化し始めた。

生命が詰まった空間、インスピレーション(霊性)の訪れ。

次々とやってくる霊性に、意識は天地創造まで遡(さかのぼ)ろうとする。

遥か遠き昔。

宇宙の拡がりは過去だという。数万光年離れている星の瞬きは、その距離と同じ遠い過去の光にしか過ぎない。

星間の闇、深さが怖い。

それは「死」と関係しているのだろうか?と暗さを畏(おそ)れ、あるであろう終着点に悟り、迷い、覚悟する。



波は寄せ、返し、海は蒸発し、雨雲となり、地に水分を落とし、生命を育む。雨は集まって河となり、海に注ぎ込む。

永遠回帰の繰り返しの中で、私たちは微かな息をしている。

生はときに優しく、ときに厳しい無数に起きる様々なドラマ。


森羅万象。

この世に存在する全てのことを理解してみたい。

波、海を通して知ったことは数多くある。

その邂逅(かいこう)に感謝し、眉を開く。

すると、さらなる新世界に足を運び入れる。

永劫(えいごう)に続く千古不易(せんこふえき)なメッセージとは何だろう?

そのメッセージはきっと何億、何兆もある、不変の解答か。


陽は昇り、雲と水平線を浮かび上がらせた。鳥群が山陰から現れて、砂浜の上を飛んでいる。

サーフボードを抱え、波と交わる。

波に滑り込む瞬間に俺は何を感じるのだろう、何を感じられるのだろうか?

海を愛する、その意味を知りたい。  


■(了、8/14/03)
 

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みをつくし逢はんと祈るみてぐらもわれのみ神にたてまつるらん

↑はご存じ与謝野晶子の「源氏物語」ですが、現代にも符合する不思議な歌がたくさんあります。

こんな雨の日にはいろいろと感じます。

コロアタウンは雨が少ないので、もしかしたら降っていないかも?とスケートボードパークに行く。

すると雨は降った形跡すらなく、しかも無人だった。



お揃いで逆真会道着を着るカイラとノア、

兄弟仲良しで、親としてはうれしい限り。



ノアのエア技を見ていると、空を飛べる気がしてくるから不思議だ。



「そらを飛ぶ夢」

ノアはこんな夢を見るときは、やはり具体的なのだろうか?

冒頭の「源氏物語」の時代にはスケートボードはもちろん、波乗りもなかったわけで、この現代に『ボーダーズ歌人』というのがいてもいいのではないか?

とひらめいた。

なので、このコメント覧で歌、俳句を募集します。
優秀者には「NAKIPHOTO2008」のオリジナルプリントをプレゼント致しますので、どしどしご応募ください。

10名以上を入選とします。

発表はこのブログで行いますね。

締め切りは1ヶ月後、3月7日としますね。

まずは俺の歌を。(笑)


夢のやうなイナリズへ引かれ行くべき身かと思ひぬ


↑この歌の意味は、じきにおわかりになるでしょう。
夜明け前に轟音を従えた雨が落ちてきて、「何事か!」と飛び起きた。
ものすごい量と音でした。
5分もしないで止んだようで、外は静かになった。

波がさらに下がり、今日は仕事日和である。

ということで夜明け海には行かずに、マリン企画の辣腕編集員Kさんと次号特集記事についてスカイプミーティングしていた。

その後、マリグロリーフに行き、軽くサーフして戻ってきたところである。

実は俺には休日というのはなく、波がある日は夜明けの波写真を撮り、その後一度サーフして、それ以外の勤務時間+には、このオフィスで仕事をしているか、人と会っている。

休日はないが、その代わりに波があれば2時間は毎日サーフできるように設定してある。

週休2日制であれば、8時間x2=16時間を週に休むこととなる(他の時間はカウントしていません)が、俺はこの16時間を波乗りに充てた、というわけです。

16時間を7日間で平均すると2時間強あるわけで、ちゃんとサーフするには少し足りない計算となるが、波は毎日良いわけではないからこれがうまく機能するのです。



これはフィジー、マトゥク島での俺です。↑

話が逸れました。

最近終わらせた仕事は、

1.なみある?用のショートムービー9本製作終了、のち納品。

2.サーフファーストの見開きコラム(これは少し前ですね)

3.オンザボード誌のレポルタージュ4ページ (現在推敲中)

そして今週に10ページ程度の特集記事の原稿の締め切りがやってきて、さらにショートムービーを後6本製作する、という予定となっています。

昨日、ミッキー川井さんが訪れたイナリーズ、今週はどんなブレイクを見せてくれるのだろうか?

楽しみです。



「明日から北西がまた大きくなる」という波予想ですが、波と仕事に気持ちを燃やして今週もにっこにこです。

(おまけ)
新潟に住むMATTさんから週末の波写真がメールで届いた。



雪と膝波。
見るだけで気合いが入りました。


(おまけ2)
ゴールデンレッドソックスのキンちゃんが、欽ちゃん(萩本欽一さん)率いるゴールデンイーグルス戦(ここまで分かりますか?笑)を視察してきたそうで、これも画像を送ってきてくれた。

いいなあ、日本は今野球が見られるのですね。



なんと松坂さんが投げて、その裏には大魔神佐々木さんが投げた球を松坂さんが打ち、



2塁打としたんだそうで、「下手なメジャーの試合より面白かったね。3000円であれじゃ激安だね!」とはキンちゃんの談。

本当にそう思います。

いいなあ、野球見たいなあ。
火が上に向かって燃えるように、自由というのもまた上に昇っているように感じる。

でもよく考えると、自由なのだから下るのも勝手で、横に行こうが、縦横無尽にどこに行こうといいのが自由。

私たちにとって、いったい何が自由なのかを考え、自由に関するキーワードを拾うことにしてみた。

「休息」「安らぎ」「時間」「奔放」「夜明け」「無人」「空」「好」「風」「ひろがり」「鳥」「美酒」「瞑想」「休」「極楽」「自在」。

こうして書きだしてみると、自由という言葉を連想させる言葉は思っていたより少なく、しかも実に色々な要素が絡み合わないと難しい、と気づいた。

自由とは青空に浮かぶ雲のように無限にあるものだと思っていたのだが、年齢を重ね、学校に行くようになり、仕事に就き、その責任と比例しながら自由が少なくなった。

そこで、たくさんの自由が欲しく、退職するとする。そして時間的な自由を得る。しかし、その後「好きな場所に行けない」とか、「欲しい物が買えない」、「好きなことができない」、「好きなものが食べられない」等と金銭的な不自由がやってきます。

それが自由?大きな自由を求めたのに、自由でなくなってしまった典型です。

海人(うみじん)の自由=フリーダムとはいったいなんだろう?

「すべからく美酒をもって生涯をおくるべし」

とは、詩人としての最高位の『詩聖』という呼称で知られる杜甫(とほ、712年-770年)の詩だが、それを想像してみると、浮世絵の中に浮かぶ夕陽のようにやさしくゆったりとした気持ちとなる。

「自分の望むフリーダムを手に入れよう」というスローガンでこのまま書き進めてみる。


(人々の項)
すばらしき人、不良なる男たち、ハードボイルド、稲妻なる生き方、夢実践型、それぞれの個性的な生活、成功者はそれをかぎつけるのがうまいのか、または才能なのか、それぞれの光り輝く「自由」を手に入れている。

ドノバン・フランケンレイターは『FREE=自由』なる曲のソングライターで、世界にその自由な気持ちを歌い伝えている。

で、「自由って何?」とドノバンに聞くと、「自由とは夢を容れるための器さ」と言った。

彼の書いた『FREE』という詩を読むと、ここにも「空」「夜明け」「風」「こころ」としたためられて、詩の最後には「自由は気持ちいいものですよ」と着地させている。

この詩は、広々としたラグナ峡谷に建てられた彼の自宅で書いたものだ。彼が詩を書いていた風景を思い浮かべてみると、こころがゆるやかになってきた。

自由は環境を作り、環境は自由を作る。

しかし、すばらしい環境の中、自由になれず、そこにはまりこんでいる人たちも知っている。

それぞれの空間に潜む自由の粒子をうまくコントロールし、それを表現しなくては自由はやってこないことがよくわかる。

「VIVA自由人!」

つまり、その方法を会得した人たちはいつも笑っている。

社会的なことなんて何もいらない。

自分のために自由を勝ち取るのだ。


(鳥の項)
「世の中は食うて かせいで 寝て 起きて さてその後は死ねるばかりぞ」

と詠んだのはトンチの一休さんで知られる一休宗純(いっきゅうそうじゅん、1394-1481)で、世の実をほれぼれと説いている。

話は変わるが、鳥が好きでたまらない。鳥の写真はもちろんのこと、鳥の絵を描くと、一瞬鳥の気持ちとなり、この世を俯瞰(ふかん)位置で捉えることができる。でもその浮遊感は想像にしか過ぎず、やはり鳥がうらやましいな、と思う。

鳥のようにしがらみもなく、いざとなると飛んでいってしまうのが、いさぎよくて自由の象徴なんだろうな。

でも鳥を追いかければ自由になれるのだろうか?

とも自問してみる。

鳥に学ぶ自由だね。


(親子の項)
理想的な調和社会・階級闘争のないユートピアの実現を目指して、「新しき村」を建設した武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ、1885-1976)は、「桃栗三年柿八年 だるまは九年 俺は一生」

という語録を残しているが、現代の自由人はそのくらいの気迫と根性がないと自由ではいられないはずだ。

子供は自由のかたまりだろう。

好きなことをし、会社も学校もなく、責任もない。

大人から見るとたまらなく子供はいいなあ、と思うのだが、子供の頃は早く大人になって、親に気兼ねせずに自由に遊びたかったことを覚えている。

閑話。

「隠棲」という言葉があるが、英語では脱落という意味と同じドロップアウトと訳される。
 隠棲するのは自由という名の羽根だと感じるが、いざ自分がやろうとすると、かなりの体力と、企画力がいることに気づく。

なので、隠棲イコール「自由」とは言いがたい。

話は大きく飛躍するが、私たちを受け止めている宇宙は、誕生から四十六億年が経過しているという。

そこで、その広く深い宇宙は自由なのか?と問えば、「暗」「寒」「熱」「真空」という理由で、人類にとってはこの地球以外はとても不自由な場所となる。

その宇宙、つまり空を見上げ、両手を合わせ「神様、私を自由にしてください」とお願いしても、自由はやってこないことを俺はよく知っている。

時には大きな自由を求めて、自由という名の迷路に迷いこんでしまうこともある。

その迷路に入らないようにするためには両手両足を伸ばす、たっぷりの空気を吸い込む、好きなだけ寝る、好きなものを食べる、好きなことをする、好きな場所に行く、好きな波に乗る、というどこにでもいくらでも散らばる幸せを知ることだ。

それらをかき集め、企画し、実行して自分自身を自由人と名乗るのか、変な常識にとらわれて押し込められた毎日を牢屋生活とするのかは、自身で決定することだろう。


(波乗りの項)
体ひとつで沖に出ることは、世間からの逃避であることがわかる。 

日常を断ち切り、携帯さえ届かないという環境で、海と遊ぶことが自由につながる身近なトンネルなんですね。

波乗りをすると、とても自由な気持ちになります。

どうしてそんな気持ちになれるのかを考えてみると、「空の拡がり」「海が広いから」「海のエネルギーに触れるから」「夕陽のやさしさ」と、自然からの印象を受けた理由が挙がってきます。

特に波乗りに身を投じた初期の段階では、その感じられる印象が跳躍しているようで、溢れる感動にその身を浸せることでしょう。 

ですが、波乗りに長く関わってくると、廻りから、またはメディアからの「意見」や「哲学」、「レッスン」はたまた「トレーニング」、「生き方」、「考え方」、「技術」、「ファッション」という教育や押しつけがどこかからやってきて、その感動を奪い取ろうとします。そんな表面的なことを言う知人や、それのみを書いたHOW TO本なんて絶交、またはリサイクル箱に捨ててしまえ、と言ってみたいのだが、なかなかそんなことをできない自分を知っている。


(無人波の項)
自由と波乗りは宗教と似ている。

信じる者は救われる。

海を信じる俺たちは今日も海に出て、散らばった自由のかけらを吸い込み、それを熟成させ、スーベニア(souvenir=記念品)として持ち帰り、明日への糧とする。

それができない者はあの正体のない不安に全身を浸食されていくのだろう。

沸きあがる情熱は自由の化身であり、それを受け止める海というのは偉大な自由の権化である。

時にやさしく、時に厳しく、大きな器で全てを包み、受け止め、誕生させる。

燦爛なる夕陽を通過し、清浄なる夜が押し寄せて来ると、その自由の粒がコーラの泡のように無数に湧きたち消えていく。

消えて行くのだが、自身に深く刻み込まれた自由は、朝が来ればひょいと戻ってくるという確信がある。

海人としての誇りと艶を「楽しむ」という達観でコーティングすると、こんな化学反応を起こし、生きていく上での奇跡のエッセンスとなる。

ささやかなものだが、人生を彩る豊かな燃料となるのが自由なのです。

わが母は、「人生はあなたの心次第」と教えてくれました。

運や幸せ、そして今回のテーマである「自由」は、その字の通り自らを導き、また自らを導くものなのでしょう。■

(初出誌『海楽2007』)


ひまわりって夏のものですよね。

ここノースハワイでは向日葵が満開です。



一句詠んでみました。

向日葵に空まだ青く波高し

ひまわりに触発されたのか南うねりがやってきた。
頭程度だが、11月中旬に届くのは異常気象のなせる業なのか。

もう一句。

友からの紅葉メールと夏うねり

最近いつも五七五で、こうなってくるとなんでもそのリズムで歩いてしまう。

バレル抜け海亀と見る高き空

潤ちゃんのブログにもあったが、私もなみある?携帯動画チャンネルを持つので、その編集に追われている。

使用しているのはiMacとファイナルカットプロ、そしてソニーHDR-HC7。
これだけである。

少し昔はノンリニア編集となると、300万円以上の機材をかけてもそれなりだったのだが、こんな手軽にできる時代になったのだなあ、と実感する。

iPodといい、携帯電話といい、どうなっちゃうんだろ?

10年先なら念じるだけで動画が完成したりするのだろうか?


閑話休題。

逆真会人気はいまだに高く、各地支部長が続々と決まっている。

不満点は武道と間違われることのようで、それを解消する「書」を麗翠先生に書いていただき、早速ステッカーを注文してきました。







縦17.77cmのしっかりとしたものです。

揃い次第、入門者にお分けいたしますね。

そうだ、先日サーフ1へ広告掲載することになり、白黒1/2ページのデザインをし、得さんに入校しました。

サーフ雑誌へ初広告となるので、晴れがましい気持ちになりました。

ぜひ!みなさんと乾杯したいです。

NAKISURFも開始よりもうすぐ2年です。
おかげさまで広告を出せるようになりました。

いつも本当にありがとうございます。

最初考えてたのは「NAKISURFの広告でなく、『ぜひ』とか『ありがとう』、はたまた『逆真会』の広告だったらひねってあっていいなあ」と思ったのですが、まだまだ内輪ネタなので、最初は直球を投げ込みました。

今月末の発売をお待ちください。


(おまけ)
最近読んで感動した本です。

根性というより、怨念的な冒険驒です。
ぜひぜひ〜!



冒険いいなあ。
懲りもせずうき世の闇にまがふかな 
身を思はぬは心なりけり 

という和歌を詠んだ西行。

この歌に今の俺を摺り合わせてみる。
そして868年後、その俺の心を見透かすように彼はもう一首したためていた。


まどひ来て悟り得べくもなかりつる
心を知るは心なりけり

これはどうして良いのかわからぬ、己の心を悟るのもまた己なのである、という意味と察する。

閑話。

神乃島の写真を整理していると、まるで天上界にいたかのような印象を受ける。
実際にはきれいだなあ、という俗な感想しか持たなかった。

なのに時間が経つと、刺すように痛いほどにそのメッセージが伝わってくる。

この写真、一つ目海岸から見る山並みは天の川に満たされていた。
これを見ると、何の心を知るべきだったのかは一目瞭然だった。

「朝食だー」

といいながらチャドの案内で歩いて行くと、部落で最も海に近い家に入っていく。

ここが、かのジョンソン婦人の家だという。

窓からふりそそぐ陽がとっても優しいリビングルーム。

壁に飾ってある写真や絵を見ていると、少年時代のチャドが写真の中にいた。 

「!」

ジョンソン婦人とはチャドのお母さんだったのだ。

黒犬ウイリーのお母さん犬、この秘密のサーフポイント、すべてが今つながった。

残念ながらジョンソンさんは今仕事で留守なのだそう。

チャドが作ったタコスを腹一杯食べる。

昼寝をするベーン。

洗い物をするアドルフ、ドノバンは陽の当たるカウチの下で猫を抱いている。

俺とブライアンでバックギャモンを何回かやっていると、いつのまにか外に出ていたドノバンが

「ハイタイドの波いいぞ!」

と帰ってきた。

のそのそと見に行くと確かに入り江の奥で不規則ながらも感じのいい波が割れていた。

ドノバンは

「軽く浸かってくる」

と、さらなる波体験を求めて崖を降りていく。

ブライアンもボードにワックスを塗りはじめた。

入り江は崖に囲まれているために風は感じず、暖かい陽の集会所だった。

心地良いエリアで波を眺めていると、ドノバンが岩の間を縫うようにして波の上にいた。

彼は岬から発生するバックウオッシュを利用し、深いターンや速いトリムで乗ってくる。(余談だが、帰り路、俺たちはこのポイント名を『ロックンロール』と命名した)

ブライアンは岬北側サンドバーのセクションで、得意のカットバックを繰り返している。

俺たちの横を滑降するペリカンの群れ。

ここにいる誰もが幸せな気持ちに包まれた。

波乗りロックンロールを終えたドノバンが海から上がり、沖を振り返ると、アザラシが岩の横ーーたった今波乗りしていた場所に顔を出していた。

「クールなアザラシだぜ。あいつ俺達と一緒に遊びたかったのかな?」

とうれしそうなドノバン。



波を求めてさらに北上することにした。

最後に『ロックス』を振り返ると、一匹のイルカがポイントを流れるように泳いでいた。




(了 1999年冬)
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プロフィール
名前:Naki 2009 または船木三秀
HP:NAKISURF
性別:男性
職業:専門職
趣味:海
自己紹介:
 11年暮らしたカリフォルニアからノースハワイ島に住みかえ、毎日クオリティの高い波で波乗りをしています。

 私は波乗り殉教者で、肩書きはプロサーファー、写真家、画家、ルポライター、デザイナーです。

 風が創ったさざ波が合わさり、遠くの洋(うみ)から陽の下、夜の中を駈けてきたうねりに乗る、というような気持ちで波に接している。
 その欲求と探求心は飽くことがないようで、小さい頃からの夢であった世界の海を旅し、自分なりのアウトプットを続けています。

 波を知ることは海を知ること。その深遠無限のインスピレーションを感じ、ゆらゆらと絡まった日々をこのブログで綴れたらなあ、と。

 そんな波乗りの奥深さ、その意識や感覚を文章、写真、絵で表現できたらと思っています。

 同業の方、同じ夢の方、海が好きな方、波乗りを愛する方、この場でお話しましょう。

 ありきたりの道具論に留まらないメッセージをみなさまと創ってみたいのです。

 また、カリフォルニア州、サンクレメンテ発のサーフショップ『NAKISURF.COM』も運営しております。

 こちらは長年培ったサーフ業界のコネクションを活かし、世界で一番誇れるWEB STOREを目指しておりますので、どうぞご覧になってください!

ぜひ!

 どうぞよろしくお願いします。
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